2024年04月03日

それを語るのに何シーン必要か

それを把握していないで、なぜ全体の長さが予測できるというのか。


映画の平均シーンは、
統計を取ったわけじゃないが、大体80シーンだと思われる。
1シーンの平均が大体1分半だから、
2時間をそれで割れば80だからだ。

つまり、
あなたのストーリーは、大体80シーンで書かれなければならない。

演劇だと「場」という数え方をする。
美術セットの数だ。
場所が大きく変わるとセットを変更しないといけないので、
予算やストーリーの間に大きく影響する。
だから、3場とか、4場とかが多いんじゃないだろうか。
暗転や照明効果などで時間経過を示せるが、
演劇はシーンが大きくは3とか4という、
実に狭い空間でのお話になる。
もっとも、抽象的なセットを組み、
照明の当て方で違う場所ですよ、というルールにしてしまえば、
もっと多くのシーンを次々に表現できるかもしれない。

映画ははじめ演劇から始まったので、
シーンがなかなか変わらなかった。
同じ場所でずっと話していたり、
誰かがはけて、誰かが入って来る、
などの工夫を凝らしてストーリーを進めていた。

すべてはスタジオ撮影で、
美術セットの数がシーンの数であった。
スタジオは雨降っても関係ないし、
録音がしやすいし、
照明が置きやすいし、
美術道具がすぐそばにあるから、
本来、スタジオ撮影が映画の撮影のようなものだ。

ロケ撮影、つまりスタジオの外で撮影するようになると、
シーン数は格段に増えていく。
「絵替わり」が楽しくなるからだ。
観光旅行を例に出すまでもなく、
「色んな所へ行く」というのは、
それだけで興奮するのである。

ということで、
時代を下るごとに、
シーン数は増え、しかし興行は2時間程度であるから、
シーンの平均時間は短くなっていく。

もちろん、予算の関係でそんなに多くの場所へ行けないし、
細切れになってもストーリーをじっくり描くことが出来なくなるから、
シーンが短くなるほうが必ずしも正義ではない。
ということで、
大体1シーン1分半が、
平均に落ち着いているのが現在だと思う。

1分半というと、大体原稿用紙1枚半の600字。
これで1シーンは長い? 短い?
全てをこの長さにせよ、ということではなく、
長いシーンがあってもいいし、
1行のシーンがあってもいいし、
全部を平均したらそれくらいになるよ、
ということでしかない。
1分半のシーンばかり、というわけでもない。
だから、あくまで感覚的なことである。


さて、ようやく本題である。

あるシークエンスを表現するのに、
大体何シーンいる?

たとえば、
「二人が第三者の介入によって仲直りするまで」
に何シーンかかるか、予測できるか?
ということだ。

もちろん段取りによるだろうから、
この問いに教科書的な答えはない。
だが、
「あなたのストーリーの中で、何シーンかかる?」
という問いには、
大体答えられなくてはならない。

喧嘩した二人は〇〇と〇〇だとわかっているとして、
介入するのも〇〇であると分かっているとして、
そのやり方も大体できているとしようか。
最短で1シーンだけど、
もっと凝ったやり方でやるとしたら、
3シーンとか、10シーンとか、
いろいろあるに違いない。
それはストーリーによる。

だけど、その特定のストーリーが、
大体何シーンかかるのか、予測しようぜ、
という話をしている。


もしこの予測が正確ならば、
頭からケツまで、
全部で何シーン必要かを計算できるはずだ。

それが大体80ならば、
2時間の映画になるが、
40ならば全体が1時間しかないし、
120ならば3時間もあることになるぜ、
という話である。

2時間という枠組みは、
書いたことがなければ、
大体どんな感じか予測もつかない。

全部を丁寧に書いたら120シーンもある話を、
80シーンにカットしたら、
たぶん急ぎ過ぎてつまらない話になるだろう。
40シーンしかない短い話を、
引き伸ばしたら、間延びするつまらない話になるだろう。
別のストーリーラインを足したら、
もともとあった話と二本立てのような、
融合していない話になってしまうかもしれない。

つまり、
「あなたの話は80シーンにふさわしい話か、
予測できるのか?」
という話をしようとしている。


日本映画の伝統的な脚本の書き方に、
「箱書き」というやり方がある。

全体をまず8つの箱に区切る。
1から8までプロットを書けば、全体のプロットになる、
という部分集合に切り分ける方法論だ。
いきなり長いのを書くよりも、
ひとつひとつの箱に集中すれば、
息切れせずに書けるだろう、
という方法論である。

2時間を8分割するから、1箱は15分だ。
15分は、TVでCMが入るまでの大体の長さで、
人間の集中力が持つ限界だと言われている。
なるほど、経験値というのはすごいね。
この15分というのを先に見出していたわけだね。
(もっとも、フィルム時代、1リールが15分で、
8リールで映画一本、
という制約があったことと関係しているかもだ)

まあ由来はどうでもよくて、
じゃあ、
その15分単位は何シーン?
平均10シーンだよね。

10シーンで出来ることって、どれくらい?
3シーンでやれること3つと少し、
2シーンでやれること5つ、
しかないんだぜ?
そうすると、
案外、映画というのはたいしたことができない、
と感じるのではないだろうか?

僕がショートストーリーを沢山書け、
というのは、この「1シーンでできること」の、
車幅感覚をつくっておけ、
ということでもある。
脚本スペシャルが15分に制限しているのも、
その1箱の単位を大体知っておこうぜ、
ということでもある。
その中で、
「1シーンで出来ること」とか、
「それをやるのに何シーンかかるのか」を、
体験しまくって、
大体感覚としてもっておこうぜ、
ということである。

長いストーリーでも、
短いシークエンスに分解できる。
ひとつのシークエンスはまた何シーンかに分解できる。

ということは、
そのストーリーは大体何シーンか?
という問いに、
大体算数でこたえられるはずだ。

その計算が合っているかどうかは、
第一稿で明らかになるだろう。
何回もやっていると、
そのうち慣れてきて、予測精度が上がるだろう。

さて、
これが出来るようになると、
「そもそも2時間にこの話は収まるのか?」とか、
「この話は2時間には足りなすぎない?」とかが、
書く前に分るようになる、ということも、
言おうとしている。


実は、2時間映画でもっとも難しいのは、
「始まってきっちり2時間で終るような、
ちょうどいい問題と解決のペアを見つけること」
だと僕は思っている。

実際書いたことのある初心者ならばわかるだろう。
なかなか足りなかったり、
2時間をオーバーしてもまったく終わらなかったりする。
それは、描写や説明が下手というのもあるかもしれないが、
「そもそも2時間映画にふさわしい題材を、
選んでいない」あるいは、
「2時間映画にふさわしいように、
題材をほどよい大きさに切りそろえていない」
ことがあるわけ。

それを予測できるように、
「その話は何シーンあるの?」
に事前にこたえられる?
という話をふってみたわけだ。



CMの世界では、
15秒と30秒がある。
15秒のほうが電波代が安いので、
15秒がオンエア中心だ。
だけど倍払わなくてもいいから、
少しだけ上乗せすると、30秒も流せる仕組みになっているから、
大企業のCMでは、
同じ素材から15秒と30秒の両方を撮影編集する必要がある。
そのときに、
15秒にするには長い素材で、
30秒にするには短い素材、
というものがまれによくある。
監督は、15秒でも30秒でも成立するようにコンテを書き、撮影し、編集する技能が求められる。
(たいてい15秒用と30秒用のコンテをかく。
そして、同じところがどれだけ共用できるかで、
腕が決まる)

となると、
同じ素材(企画)から、
15秒と30秒と両方成立するように、
ストーリーを書き分けられないと行けないわけ。

たかが15秒と30秒というなかれ。
時間は倍違う。
1時間と2時間を書き分けることと、
本質的には同じ能力が必要なんだよね。

なので、
そもそもの素材が、
帯に短したすきに長し、ということもあるので、
きちんと切り分けて、
問題と解決のペアに、
うまく切りそろえてから調理を始めなければならない。

まあ長年やってると、企画を見ただけで、
「この企画は15秒向きだな(だいぶ足さないとなあ)」
「この企画は30秒向きだな(切り出しても成立するところはどこだろう)」
なんてことが事前に分るようになる。

この感覚を、
脚本でもとうぜ、ということをいっている。

あるストーリーの企画がある。
それが「2時間の映画になりそう」かどうかを、
事前に感覚としてわかるか?
という話だ。

あるいは、
「自分ならこれを書いたら1時間になりそう」とか、
「5時間はかかるから、
ドラマのほうが向いているのでは?」とかを判断できる?という話。

さらにいえば、
「これは足りないから、〇〇くらいを足すと大体2時間になりそう」とか、
「これは〇〇に絞れば2時間になりそう」とかを、
予測できるか、という話。


その基礎の感覚として、
これには何シーンかかるだろう?
を予測できる?という話である。

もちろん、1シーンがごく短いものもあるし、
長いシーンもある。
でも大数の法則で、大体平均化されて数字には出るよ。


80シーン、1分半。
この数字で覚えておくとよい。

あなたのストーリーの中のサブシークエンスは、
書く前から何シーンくらいかかるかを予測するべきだ。
もしそれが予定外に長ければ、
うまく短くしなければならない。
全体の予定より短くなりそうならば、
何かを足さなければならない。
(そのシークエンスには足さずに、
別のシークエンスを足すことになるかも知れない)

それらを、
「書く前から足し引きして考える」
ことが実は重要なんだよね。
一回書いちゃったら、カットしたり伸ばすことは、
結構難しいから、
プロットの状態や、
もっと原始的なスープの状態で、
大体を見積もっておくと、
改定が楽なんよね。

「これは映画になる?」
を予測しよう。
「これには何シーンかかる?」が分れば、
予測できるよ。

2時間に足りないならば、
もっと取材したり、
サブプロットを増やしたりするべきだし、
2時間を大幅にオーバーするならば、
問題の規模を小さくしたり、
展開をはしょったり、
サブプロットを減らしたりするべきなんだよね。
書く前から。
posted by おおおかとしひこ at 01:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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