2024年04月11日

熱量はすべてに勝る

と僕は考えている。


たとえば自作キーボードは、
半田付けが必須だ。
だけどほとんどの文字を書く人は、
半田付けなどやったことがないだろう。
だから多くの人は、
半田付けが怖くて自作キーボードを諦める。
(それがゆえ、自作キーボード界隈の純度が保たれて、
余計な人が入ってこない障壁になってくれている)

だけど僕とかは「どうしてもこのキーボードでは嫌だ」
という熱量があるので、
完璧でなくてもいいから半田付けをマスターして、
次々に自作キーボード沼へ踏み込んでいく。

自作キーボード界隈には、
そうした理系でない人もちょいちょいいて、
そうした人は理系技術的に優れてなくても、
その熱量が面白いんだよね。



人が他人に興味を持つのは、
完璧な存在だからだろうか?

たぶんそうじゃないと思う。

全くミスをせず、機械のように精密なパーフェクトよりも、
失敗しながらも、
足りないながらも、
泥だらけでころびながら前に進んでるほうが、
ずっと見てたくなると思う。

自分より下だからかな?
それも少しあるだろう。
自分より上だと思うと、見てて自分が辛くなるからかな。


で、自分より下な、泥だらけの熱量が、
完璧でないにせよ、
何かを成し遂げるのを見て、
自分より下じゃなかった、
熱量や根性において、自分よりこの人が優っていた、
と思って、感動や尊敬に至るのではないかな。

物語の根本はつまり、
熱量によって突破すること、
それを見ているうちに、感化されてしまうこと、
なのではなかろうか。

インド映画に僕が惹かれるのは、
日本人にない熱量だね。
ハリウッドよりも泥臭い非完璧さだ。

その熱量は、命の輝きといっても過言ではない。


見せ物の正体は、だから熱量だと僕は思っている。
勿論分かりやすい熱量だけでなくてもよくて、
秘めた熱量が沸々と水面下にいてもよい。
受け取るトータルの熱量だと思ってるので。

人は熱量に惹きつけられる。
ヒトラーの演説とか、めっちゃ情熱的なんよね。


そういえば久しぶりにガッキーのポッキーCM
(事実上のガッキーのデビュー作)を見たんだけど、
信じられないくらいハイテンションなんだよね。
https://m.youtube.com/watch?v=XR4nBxbQyC0&pp=ygUb44Ks44OD44Kt44O844CA44Od44OD44Kt44O8
今やガッキー本人は割と暗めで、
こんな表情をする子ではないとみんな知ってるけど、
この頃は「こんなに明るい子がいたんだ」
という発見でもあった。
勿論これは「演技」だ。
溌剌とした明るい子を、本性はそれと異なる子が演じている。
だけど、その熱量に人は惹きつけられるのだ。
こんなにも情熱の籠ったものを、
ずっと見ていたくなるのだよ。

セットはへぼい、衣装もふつう、
音楽はまあまあな、何もない要素のCMだが、
ガッキーだけが特別輝いている奇跡のCMだ。

あなた自身がこんなに輝いてなくて良い。
あなたの作る話が、
ここまで熱量の籠っているものにせよ。
posted by おおおかとしひこ at 05:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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