と僕は考えている。
たとえば自作キーボードは、
半田付けが必須だ。
だけどほとんどの文字を書く人は、
半田付けなどやったことがないだろう。
だから多くの人は、
半田付けが怖くて自作キーボードを諦める。
(それがゆえ、自作キーボード界隈の純度が保たれて、
余計な人が入ってこない障壁になってくれている)
だけど僕とかは「どうしてもこのキーボードでは嫌だ」
という熱量があるので、
完璧でなくてもいいから半田付けをマスターして、
次々に自作キーボード沼へ踏み込んでいく。
自作キーボード界隈には、
そうした理系でない人もちょいちょいいて、
そうした人は理系技術的に優れてなくても、
その熱量が面白いんだよね。
人が他人に興味を持つのは、
完璧な存在だからだろうか?
たぶんそうじゃないと思う。
全くミスをせず、機械のように精密なパーフェクトよりも、
失敗しながらも、
足りないながらも、
泥だらけでころびながら前に進んでるほうが、
ずっと見てたくなると思う。
自分より下だからかな?
それも少しあるだろう。
自分より上だと思うと、見てて自分が辛くなるからかな。
で、自分より下な、泥だらけの熱量が、
完璧でないにせよ、
何かを成し遂げるのを見て、
自分より下じゃなかった、
熱量や根性において、自分よりこの人が優っていた、
と思って、感動や尊敬に至るのではないかな。
物語の根本はつまり、
熱量によって突破すること、
それを見ているうちに、感化されてしまうこと、
なのではなかろうか。
インド映画に僕が惹かれるのは、
日本人にない熱量だね。
ハリウッドよりも泥臭い非完璧さだ。
その熱量は、命の輝きといっても過言ではない。
見せ物の正体は、だから熱量だと僕は思っている。
勿論分かりやすい熱量だけでなくてもよくて、
秘めた熱量が沸々と水面下にいてもよい。
受け取るトータルの熱量だと思ってるので。
人は熱量に惹きつけられる。
ヒトラーの演説とか、めっちゃ情熱的なんよね。
そういえば久しぶりにガッキーのポッキーCM
(事実上のガッキーのデビュー作)を見たんだけど、
信じられないくらいハイテンションなんだよね。
https://m.youtube.com/watch?v=XR4nBxbQyC0&pp=ygUb44Ks44OD44Kt44O844CA44Od44OD44Kt44O8
今やガッキー本人は割と暗めで、
こんな表情をする子ではないとみんな知ってるけど、
この頃は「こんなに明るい子がいたんだ」
という発見でもあった。
勿論これは「演技」だ。
溌剌とした明るい子を、本性はそれと異なる子が演じている。
だけど、その熱量に人は惹きつけられるのだ。
こんなにも情熱の籠ったものを、
ずっと見ていたくなるのだよ。
セットはへぼい、衣装もふつう、
音楽はまあまあな、何もない要素のCMだが、
ガッキーだけが特別輝いている奇跡のCMだ。
あなた自身がこんなに輝いてなくて良い。
あなたの作る話が、
ここまで熱量の籠っているものにせよ。
2024年04月11日
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