現在のv16(仮)が、
なんで行けてるのかが分からないまま、
ずっとずるずると使っている。
なんかシンデレラフィットなんよね。
これって、理論じゃなくて偶然見つかるタイプのやつかな?
配列設計の理論は色々とある。
大きくは、
キーの単独の打ちやすさ、連接の打ちやすさに対して、
頻度のあるカナ、頻度のある連接を当てていく。
その中で、
シフトの対応とか、
何を重視するかとかのバランスで、
微調整をしていく。
しかしその理屈をもってしても、
「このカナはここであるべき」
なんて感覚があり、
何故そうなのかを言語化できてないことがほとんどだ。
そういう感覚は最初からある場合もあるし、
偶然シンデレラフィットを見つけることもある。
ああ、これはこの形であるべきだったのだ、
最初からこの形だったのに、
色んな濁りのせいでこれに気づかなかったのだ、
というのがシンデレラフィットかな。
それは偶然によってもたらされるような気がする。
理屈を飛び越えた何かによって。
飛鳥配列の制作後半は、
そうしたフィット感を探す旅路だったように、
読み取れるんだよね。
しっくり来ないとか違和感とか、
この流れは気持ちいいとか、
そういう気持ち、感触の話をしていて、
理屈はそれが間違いすぎてない検証道具でしかなかったり。
というわけで、
なぜかフィットしている左薬指。
理屈は分からない。
偶然の発見にすぎないが、
なんだかシンデレラフィットで調子が良い。
現在左薬指の「め」「み」は、
ともに「目」や「見る」など視覚に関連するカナだから、
僕は人差し指にしたかったんだけど、
その直感を覆してまでこの場所でいいという感覚がある。
手で触る道具には、
こうした何かしらの偶然によって生まれた、
謎のフィット感があるものがあるのだろう。
「ここはこうなってて欲しい」というのは、
研ぎ澄まされた手の感覚によるものだけど、
「これがこうなってるのは面白い」は、
偶然の産物のような気がするなー。
自作キーボードでも同じことがあって、
凹んでいるキーキャップを、
ある日凸にしたらどうだろう?
なんて発想は、偶然からしか出てこないよね。
そんな感じ。
ちなみに昨日からいじり始めた編集モード、
理屈ではいいはずなのに、
手にフィットしなくて困っている。
これは難航しそうだ…
2024年02月19日
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