2024年02月19日

【薙刀式】シンデレラフィットは偶然か

現在のv16(仮)が、
なんで行けてるのかが分からないまま、
ずっとずるずると使っている。
なんかシンデレラフィットなんよね。
これって、理論じゃなくて偶然見つかるタイプのやつかな?


配列設計の理論は色々とある。
大きくは、
キーの単独の打ちやすさ、連接の打ちやすさに対して、
頻度のあるカナ、頻度のある連接を当てていく。
その中で、
シフトの対応とか、
何を重視するかとかのバランスで、
微調整をしていく。

しかしその理屈をもってしても、
「このカナはここであるべき」
なんて感覚があり、
何故そうなのかを言語化できてないことがほとんどだ。

そういう感覚は最初からある場合もあるし、
偶然シンデレラフィットを見つけることもある。

ああ、これはこの形であるべきだったのだ、
最初からこの形だったのに、
色んな濁りのせいでこれに気づかなかったのだ、
というのがシンデレラフィットかな。

それは偶然によってもたらされるような気がする。
理屈を飛び越えた何かによって。


飛鳥配列の制作後半は、
そうしたフィット感を探す旅路だったように、
読み取れるんだよね。
しっくり来ないとか違和感とか、
この流れは気持ちいいとか、
そういう気持ち、感触の話をしていて、
理屈はそれが間違いすぎてない検証道具でしかなかったり。


というわけで、
なぜかフィットしている左薬指。
理屈は分からない。
偶然の発見にすぎないが、
なんだかシンデレラフィットで調子が良い。
現在左薬指の「め」「み」は、
ともに「目」や「見る」など視覚に関連するカナだから、
僕は人差し指にしたかったんだけど、
その直感を覆してまでこの場所でいいという感覚がある。


手で触る道具には、
こうした何かしらの偶然によって生まれた、
謎のフィット感があるものがあるのだろう。

「ここはこうなってて欲しい」というのは、
研ぎ澄まされた手の感覚によるものだけど、
「これがこうなってるのは面白い」は、
偶然の産物のような気がするなー。

自作キーボードでも同じことがあって、
凹んでいるキーキャップを、
ある日凸にしたらどうだろう?
なんて発想は、偶然からしか出てこないよね。
そんな感じ。


ちなみに昨日からいじり始めた編集モード、
理屈ではいいはずなのに、
手にフィットしなくて困っている。
これは難航しそうだ…
posted by おおおかとしひこ at 09:07| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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