フィクションの法則には、
「嘘はひとつまで」という経験則がある。
いくつも大きな嘘をこしらえると、
全部が嘘に見えて、
世界に入れなくなってしまうからだ。
これは、嘘のつき方の問題だ。
フィクションはほんとうではない。
嘘だ。
ということは上手な嘘をつくべきだ。
それをついている間、
まるで本当のように見えていることが大事だ。
さて、
一般に、
嘘をつくのが下手な人と、上手い人がいる。
何が違うのだろう。
色々あると思う。
シンキングタイム。
僕は、
嘘をつくのが下手な人ほど、
小さな嘘を重ねると考えている。
夏休みの宿題を出しなさい
忘れました、やったんですけど持ってくるのを忘れました
じゃあ今から家に帰って取ってきなさい
あ、やったんですけど、犬に噛まれてぐちゃぐちゃに
そのぐちゃぐちゃを持ってきなさい
あ、おかあさんが捨ててしまいました
答えは大体覚えてる?
は、はい、やったので
じゃあ今から答えて
(…ここで自殺する)
この場が凌げればヨシの、
小さな嘘だから、
それがカバーできない範囲では破綻するわけだね。
つまり、もっと大きな嘘をつき、
色々ありそうなバッファこみで、
カバーすることを考えれば良い。
夏休みの宿題を出しなさい
やってません!金曜までにやるので見逃してください!
これくらいスケールを大きくした方が、
清々しくて許してくれるだろう。
あとは先生との信頼関係できまるだろう。
多少やってたとしても「やってない」と嘘をつくことで、
バッファを取ることができるわけだね。
嘘をつくときには、
客観性がだいじだ。
嘘をつくのが下手な人は、自分の周りしか見えてなくて、
客観性、つまり自分と関係ない他人がそれを言ってたとして、
信用できるか?まで見えていないことが多い。
だから、小さな嘘を重ねて、
わけがわからなくなっていくのだろう。
大きな一つの嘘、といっても、
それ以外一つも嘘をついてはいけない、
と言うわけでもない。
厳密に数えれば、登場人物全員嘘に数えられてしまう。
そうではなくて、
「この一つの嘘を認めれば、
このような世界があってもほんとだと思おう」
という、
作者と観客の契約のようなもの、
だと考えると、
フィクションの一つの嘘というのがわかりやすくなるだろう。
嘘をつくのが下手な人は、
浮気したらディテールを重ねてバレて、
結局信用をなくしてしまう。
上手な人は、
「一切やってない」方向にするか、
「浮気なのですぐに飽きた、本命はお前だということがわかったので二度とする意味がない」
方向にするかの、
大きな嘘を一つにまとめるのだろう。
あることAを前提としたら、
その他はすべて演繹できる。
そんな風に、嘘たちをまとめていくのである。
2024年04月13日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック