2024年02月20日

問屋とコンテンツ

ゲーム業界の話だけど、
映画館と映画の話にも通ずるので引用。
https://x.com/snapwith/status/1759409685831246174?s=20


なるほどなあ。
かつては、
映画館に配給がおろしていたので、
いかに前宣伝で映画館に買わせて、
流行ってますよーというムードをつくるかが、
大事だったということだ。
そして興行の単位は二週間が目処。

たしかに、問屋とゲームの関係にすごく似ている。


だから、
本編の質よりも、
「ヒットしそうかどうか」
「ヒットしそうだなと中間業者が仕入れるかどうか」
がキモになってたわけだ。
中間業者に向けて広告を実質打っていたのだと。

だから原作もの、人気芸能人の話題作、シリーズものは、
売上が読めるから人気なんだな。
「暑い日はアイスを仕入れよう」くらいしか見てなくていいからね。


この、間に入る流通が、
デジタルになって直になり、
中間業者を取っ払った商売にできたのが、
DL販売でありストリーミングであるわけか。
だから、中間層の思惑に沿わず、
消費者ダイレクトに届くものをつくれる可能性が広がったと。


で、
そうなったとして、
コンテンツの質があがったのか?
が、知りたいところだね。

売れ線だけどクソ、というのは減る気がする。
だけど、
一見面白そうでケムに巻くものは、増えそう。

アメドラなんかにそういうのが多い気がする。
最初はものすごく面白そうなのだが、
シリーズを重ねていくと、
最初の設定はどんどんなくなって、
いつの間にか別物になって、
全部を回収しないまま打ち切りエンドみたいになるような。

つまり、騙す相手が、
中間業者から消費者に変わっただけ、みたいな。

微妙エンドだとしても、
サクラを雇ってTwitterで議論させたり、
インフルエンサーに誉めさせておけば、
コンテンツの質の低さを誤魔化せるかもしれないね。

「それを詰まらんという俺のセンスが間違ってるのではないか」
などのように思わせれば、議論を封じられるからね。


本来、どんな人もどんな意見を言っても良い。
それが言論の自由だ。
誹謗中傷になってもよい。
それも自由だ。
コンテンツに関しては、見た感想がすべてだ。

ただ、クソはクソ、素晴らしいは素晴らしいと、
同じ熱量で批評することだけが、
ただしい認識を生むと僕は思う。

だけどそこに自信のない浮動層が、
何かのきっかけで流れ出すんだろう。



かつては問屋によって支配されていた流通が、
ネットによって直にとどいた。
それによって、結果幸せになったのかは分からない。
直の販売は、
1対1になってしまい、
「それを知らない人が面白そう/流行ってると思う」が、
抜け落ちる。
その、ふわふわとした部分も含めて文化だと僕は思うので、
商売としてはいいのかもしれないが、
空気としての文化は衰退してる気はするね。

だから、ゲームも映画も「好きな人は好き」なんだろうが、
「全体に文化として流行している」ようにはなっていない。
進化してるのに衰退してる感じがするのは、
そういうことなのかもしれない。

もちろん、中間業者が一度潰れたら、
元には戻らない不可逆変化だ。
この流れは止まらないだろう。
小さな映画館も潰れ始めている。
チェーン店の味しかなくなって、
それは豊かといえるのか?

平成末期から、ネットが次々にコンテンツは継承したものの、
文化は破壊している気がする。
本屋、レコード屋、ゲーム屋、映画館、レンタルビデオ屋。
すべての響きが昭和や平成っぽい。
中間業者の存在が、ある種のハブになってたのだな。


さっき広告を見て空恐ろしいなと思ったのだが、
恋愛ゲーのキャラを、AIが好みでレタッチする実装がされたらしい。
つまり、
「同じ作品を共有する」が消失する可能性があるわけ。

「体験」はひとつの体験ではなく、
個別の体験に生成され直すことになる。
それは体験ではあるが、作品ではなくなるね。

商売は売れればどっちでもいい。

作品の作品性は、どこへいくのだろう。
posted by おおおかとしひこ at 07:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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