悪意があるのが悪役とは限らない。
立場場敵対することにもなるから、
悪意がなくても悪役になることはある。
敵対者は誰か?
どの人と一番大きなコンフリクトがあり、
どの人と対決することになるのか?
たとえば心の中の葛藤がテーマだとしても、
それは外に出すのが三人称の物語だ。
たとえば「この恐怖心を越えればゴール」、
というような一人称の中のテーマであっても、
「この人に勝つ」などの、
具体的な人を超える行為に置き換えると、
三人称のクライマックスになる。
その具体的な人を悪役という。
別に悪意があってもなくてもそうなる。
だから悪意ありなしとは関係ない名称で、
敵対者(antagonist)というのだね。
もちろん、悪意がたっぷりあっても構わない。
人を押しのけ、追い落とそうというやつでもいいし、
普段からろくなことをしてなくて、
今度も主人公をひどい目に合わせてやる、
と狙っているやつでもいい。
悪意らしい悪意がなくても、
結果的に悪意的になることもよくある。
無知ゆえに、結果的に悪意があることと同じになることは、
現実でもよくある。
それを知って取り返しがつけばいいんだけど、
たいていは取り返しがつかないところに事態が進んでいるので、
その敵対者を追い落とすしか、
手段がなくなっていることが多いわけだ。
(物語の中では)
悪意があったほうが、盛り上がる。
なぜなら、
その悪を倒すとスカッとするからだ。
無知ゆえに敵対者になってしまった人を倒しても、
後味はあんまりよくないよね。
だから、悪役は悪意たっぷりのほうが、
遠慮なく戦えるわけだ。
敵の中にも人格者はいるだろう。
だけど、
結果的に倒すやつは、
敵陣営の中でも手を焼いているひどいやつだ。
少なくとも観客は憎むことになるだろう。
だからスカッとするんだね。
そういう構造をつくれないか考えることだ。
敵対者に矛先が向かえば向かうほど、
それを倒す主人公が良く見えるだろう。
コントラストは濃い方がよく見える。
2024年04月15日
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