AI生成で30万枚作ってわかったこと
https://note.com/jun_yama555/n/n6e8769fe2c44?sub_rt=share_pw
がおもしろかったので。
文中、「ナラティブ」と言われてることは、
作家の意志、つまり脚本で言えばテーマだね。
AI研究には面白い所があって、
人造人間をつくればつくるほど、
「人間の本質とは何か」の解像度が上がるんよね。
人造人間はすごいのだが、
どこかまだ人間に足りていない、
その足りてない魂の部分が人間である、
のように、
補集合から推測して行くというね。
「生きているひよこをミキサーですり潰す。
元素としては同一だが、失われたものがある。
それが生命の本質」というマッドサイエンティスト的な話もある。
この場合、
AIに絵を描かせてみたが、
すごいのにすごくないのはどういうことか、
絵の魂とはなにか、
みたいな考察になったわけ。
人はなぜ創作するのか、
創作とはなんぞや、
みたいなことの話だ。
僕は最近「熱量」の話をよくする。
技術とか整いとかどうでもいい、
矛盾とか破綻とかどうでもいい、
まずは猛烈な熱量こそをぶつけるべきだと。
それが人間の魂とか、
「意図」とか呼ばれるものなんじゃないかと。
インド映画を僕が絶賛するのも、
その熱量において、
ポリコレ都合に合わせたハリウッドより、
作者のオナニーか公共工事みたいな原作つき邦画よりも、
炎上を避けるテレビよりも、
圧倒的だからだ。
「この話がいいんだよ!ほらここが!」
「この最高な話を、みんなで見たいんだよ!ほら!」
と、原初的な感情が強いと思うんだよね。
だから絶対的な幸福から、
絶対的な絶望に堕ちて、
そしてそれを大逆転して、
めちゃめちゃハッピーエンドになる。
僕らはその熱量に夢中になる。
「RRR」を見てから一年以上たつけど、
それからあんまり映画館に行かなくなった。
あれ以上の熱量、もうなさそうだもの。
どれ見てもあれより下なら、
時間を使う意味がない。
AIには、それがない。
絵に込められた熱量すらも、
中点を取るからだ。
正規分布を均していけば、
平均値に収束するのは当然だ。
芸術とは突出である。
岬の先端に立つことである。
平均値で丸くやってて、
ビビってるやつらは創作とはいわない。
2024年02月22日
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