昨日の話の続き。
僕は昔から、カット、コピー、ペーストの動きが苦手だ。
ctrlを押しながら、はまあしょうがないとしよう。
だがwinのあの位置のctrlは解せない。
本質的な編集機能なのに、
たとえば無変換キーを押しながらになっていない理由がわからない。
ホームポジションを崩してまでショートカットを使わせるのは、
設計として間違っている。
A横でようやく納得がいくにしても、
それを頻繁に使わせる理不尽も納得いかない。
ちなみに僕の自作キーボードでのctrl位置は、
左親指の内から3番目。
それにしても、よく使うものはほとんど編集モードにあるので、
どうしてもそのほかのものを使う時しか使わない。
にも関わらず、それくらいは近くないと、
僕が使えない。
で、本題。
僕はいまだに、
カット: 薬指
コピー: 中指
ペースト: 人差し指
の指の機能に納得していない。
昔から今に至るまで、30年くらいXCVを使ってるが、
この指のバインドに違和感がある。
薬指はものを切る指ではない。
包丁やナイフを薬指では持たないし、
薬指一本を相手に向けて「切るぞ」「殺すぞ」と意思表示しない。
ものを切るのは、
一本指限定なら人差し指しかありえない。
また、左人差し指でものは切れない。
右人差し指でしか人を殺せない。
コピーはどうだろう。
人差し指ないし中指かな。薬指や小指でコピーするとは思えない。
ペーストは?
人差し指か中指だよなあ。
で、隣同士のキーだと混乱するとか、
指を機能で変えるべき、などと考えて、
現在コピペ類は、CVを押しながら、
U: カット…右人差し指
H: コピー…右伸ばし人差し指
I: ペースト…中指
が納得している。
指には意図や機能があり、
それと異なる機能を割り振るべきではないと考えている。
これは個人だけの感覚なのだろうか?
文化的民族的なものもあるし、
世界共通のものもあると思う。
有名なものにブーバキキ効果というのがあって、
世界中のどの言語にもない単語「ブーバ」「キキ」の、
ふたつを、世界中の国の人に聞かせて、
「どちらが『まるくて優しい感じ』で、
どちらが『尖って生き生きと動く感じ』か?」
と聞くと、
ほぼ世界中の人が、前者をブーバ、後者をキキというらしい。
音と感覚の機能は繋がっている感覚があるわけだ。
あるいは世界中の言語で、
「切る」に当たる単語は、
K音から始まることが多い、という話もある。
(該当例: cut 英語、切Qie 中国語、couper フランス語
例外: schneiden ドイツ語)
音と感覚の繋がりの話だけど、
指の触覚(触った感じだけでなく、動かす感じも含む)と、
言語感覚の繋がりが、ないわけはない。
それが僕個人的なものか、
もう少し広範なものかはなんともいえないけど、
XCVに違和感を覚えない人は、
僕はよくわからないんよね。
僕は強い違和感があり、
ものを書く道具ですらないと思ってるので。
だから、
「ものを書くべき真の道具とはなにか」
を突き詰めている。
ちなみにアンドゥのZ小指も違和感が強い。
だけどテキスト作業ではあまり使わないので、
同じく「はじっこ」であるPにバインドしてある。
にしても、左手より右手だなと思っている。
こうした、
個人的な身体感覚を縛り、歪める、
使えない道具はさっさと捨てるべきだ。
新配列運動とは、
纒足を脱ぎ、理想の足を手に入れて自由に走ることである。
XCVを纒足だと思わない人の気持ちは僕にはわからないが、
僕には纒足なので、窓から捨てた。
2024年03月02日
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