プロットを書く前に、
色々と妄想をすることがあるだろう。
いざプロットを書こうとするときに、
固有名詞がないことに気付くと思う。
だから、プロットを書く段階で、命名という儀式がある。
名前を付けることは、ある種の生命を生むことである。
その「概念」=人格は、その名前に縛られることになる。
大げさに考えなくてもよいから、
一回、
全登場人物一覧表をつくってみるとよい。
あるいは所属している会社やチームがあるならば、
そのネーミングもこみだ。
ある町の話ならばその土地名もいるね。
架空の電鉄や乗り物が出てくるならばそれもだ。
なんにせよ、
「その世界にある固有名詞の表」というものをつくってみることだ。
これから書く世界の見取り図を、
先につくっておこうということでもある。
主人公はその名前でいいのかな。
どういう性格なんだっけ。
どういう人生なんだっけ。
どういう活躍をするんだっけ。
その名前にふさわしいストーリーになるかな。
どういう名前なら、その人っぽい名前だろう?
ヒロインは、ライバルは、悪役は、信頼できる友達は……。
そういう名前を煮詰めていくと、
「その人らしい名前」「その名前らしい人」
というループが起こり始める。
そこでようやくひとつの人格が生まれる気がする。
人格の分裂に似ている。
ある一人の人格には、
〇〇な性格の部分と〇〇な性格の部分が、
重なっているものではあるが、
それを分離した二つの人格に割り振ると、
急にそれらが二つの人格に見えるようになる。
そうしてそれらは別々に相いれない、
登場人物に育っていく。
多重人格や自我の分裂というのは、
その抽象的な性格を、名前をつけることで具体になる、ということだ。
あいまいな概念だったものが、
名前を持った瞬間、急に「それだ」となる感覚に似ていると思う。
最近だとカエル化かなあ。
そういうことがあるとうすうす分っていたけど、
名前がついたら急に昔からあるものに変わってしまう感じね。
ということで、
命名の儀式はしばらくかかる。
しっくり来るまで結構かかると思うよ。
今書いている話の主人公は、
仮に青山大吾としてあるけど、
青山大我のほうがいいかなあとか、
青葉だとどうかなあとか、
名前はもう少し普通の智也がいいかなあとか、
色々迷っている。
それらの微妙な差で、
性格が変わってしまいそうだよね。
だから、しばらく寝かせて、
しっくりきたときが、書き出すときだな、
などと思っている。
ライバルはわりと簡単で、火野翔ですんなり決まった。
派手で押しの強い感じのイメージなので、
わりとはっきりした感覚があったので。
そういう風にして、
どんどん決めていこう。
登場人物表を先につくるのは、
そうして俯瞰してみることと同じだ。
全キャラを並べてみたときに、
これらの間にある話なのだなあ、
と感慨深くなることだろう。
逆にいえば、これらの中にないものは、
これから書かれる話には一切関係ないわけ。
それもちょっと面白いよね。
何かを詳しく書くことは、
それ以外を捨てるということでもある。
「どこに限定するか」を、
固有名詞の表をつくりながら、
決めていくことになる。
2024年04月21日
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