人間の性質。
なんでだろう。
プライドなのかなあ。
分っていないやつほど、分っている振りをする。
なんだ、分っているのか、とそれ前提で進めると、
ある日分っていないゆえの大事故になる。
分ってなかったんじゃん、
と切れるはめになる。
人間の心理だろう。
出来ていないのに、出来ている振りをする。
理解していないのに、理解している振りをする。
行けていないのに、行けている振りをする。
分りません、出来ません、理解していません、
そう言うのが苦痛なのだろうか?
「雰囲気だけ合わせとこ、この場の空気を壊すのがいやだ」
とでも思っているのかな。
僕は分らないところは分らないと正直に言うタイプなので、
どこから分らないか考えることがよくある。
そうしないと責任が持てないからね。
責任が持てる範囲は、分っている範囲だと思う。
つまり、
バカが背伸びをしてごまかしているのだ。
精神的シークレットシューズとでもいうべきか。
いい時計をしたり、身なりをするのは、
そういうことだろうかね。
あるいは、そういう集団に入るためだったりする。
その集団も、
全員分っていないやつだらけなのだろうか。
多分そうだな。
ものをつくるときに、
分っていないやつがいると致命的な不具合が起こることがある。
最近そういうことが増えた。
素人は黙ってろ、と怒鳴れない昨今、
誰かが誰かのケツをぬぐい続けている。
いつか破綻するんじゃないか。
まあ、破綻して、徐々に日本はほころびかけているが。
2024年04月22日
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人間を形作るのは人間のイメージである。
人間のイメージはアートによって表現される。
人間である事の願望とコンプレックス。
コスパ・タイパばかり求めて人は何になるのか。
埃と髪食って生きていけるゴキブリに勝てない。
大谷翔平みたいな巨躯はコスパが悪いのだ。
それと優生思想が絡むと話がややこしくなる。
優生思想は考えが短絡過ぎる。またそれの反論も短絡となってしまう。
10年程前くらいまでは人間が協力するナラティブが流行った。
確かに人間は協力するが、優生思想の批判としては適切だろうか。
端的に肉食獣だけでは世界は成り立たない、雑魚(百姓)は必要なのである。
デスクワークだけで社会が成り立つわけ無いのと同様、コスパの良い人間が必要なのだ。
逆に能力主義は人間を過大評価しすぎである。ブレーンが社会全体を制御するなどできっこない。
話を戻すと
人はなんでも金で交換できれば便利だと考える。
けど才能は労働力か婚活市場でしか人と交換できない。
自分を良く見せたい、雑魚と思われたくないと思った人は、金で自分をよく見せようとする。
しかし才能とは事後的に評価されるものだ。野球なら野球で結果を出す。勉強は勉強、仕事は仕事。
容姿は人間の目の進化によって特に努力する必要はないが(むしろ化粧と整形で欺く事とのバトルになってる)、
アートはどうだろうか。
アートは高尚でわけの分からないモノとされている。
いやアートなんて作品を作る技巧という単純明快なものだろ。
魅力とは作り手への畏怖と尊敬である。
アニメはアニメーターがすごいのであり、脚本はビックリマンチョコのウエハースチョコ程度のものだ、
誰も気にしちゃいないがマズイと文句が出る。
アートが作品を作る技巧という単純なものだと認めたくない人種がいる。
そう高学歴のビジネスマンだ。
彼らは人間である事のイメージに囚われている。
背が高く、頭が良く、容姿が整っていて、スポーツもこなし、そしてアートに造詣がある……。
本当にそうか?
歌は上手く歌えるか? 絵は小学生と並べて上手いか? 人間の内面を言葉によって表現できるか?
精密な事ができる手は持っているか? etc...
コンプレックスを金で解決できればいいと人は考える。
アートを所有する事で自分をよく見せるのは裸の王様に近い。
まあ社会というのは不思議なもので、そういう空気が醸成されればみんな騙されるのだ。
生産性のない活動をするアーティストと金持ちのおっさんとの蜜月の関係である。
貧乏な美大生と、アートをしょうもない教養で表現しよう試みる高学歴の奇妙な関係か、
エンターテイメントに特化してお祭り好きの一般層を相手にするかの苦しい選択である。
つまり芸術を買う事は人間にとっての免罪符なのだ。
もっとも、ブランドを身に纏う人はなぜ威光があるのか考えない。
どうもつまらない戯言でした。
そのチョコをどうおいしくして、
シールごときを忘れさせられるか?
と考えるのがこの場でございます。
世の中がどうできているか考えるだけでなく、
それが面白い作品に利用されるべき、というのが結論です。
おいしいチョコをつくってください。