人生は、あるか、ないか、するかだ。
そんな文章を書きたければ薙刀式を使え。
※薙刀式の右手部(・は省略、削はBS)
・削るす・
・あい・・
・な・・・
僕は色んな配列をいろいろ使ってみるべきだと考えているが、
薙刀式をその中の候補に入れるには、
ある程度目立たなければならない。
なので、ちょっと尖ったことでも書いてみるか、
と思って冒頭の惹句でも書いてみた。
薙刀式が他の配列と異なる要素はたくさんあり、
わりとキャラの立ってる配列だとは思うのだが、
それらを列挙してもぼんやりしてしまうだけなので、
たった一つに絞ることで尖ってみた。
ホームポジション近辺のアルペジオに何を入れるかは、
モダンな各配列の設計思想によって異なる。
(アルペジオを入れていない配列もある)
多くの配列が採用しているのは、
1gram頻度の統計順で並べる、
2gram連接を考えた上で並べる、
などだ。
いずれにせよ、
「統計でよく出てくる順」を採用している。
それはそれで合理なんだけど、
薙刀式は異なる考えで右手心臓部をつくっている。
それは、
「文章とは何を書くものなのだろう?」
という、人間の本質、言語の本質まで下りた考察だ。
発言とは何をすることか、
物語を書くとは何をすることか、
思考するとは何をすることか、
言いたいこととはどのような形をしているのか。
煎じ詰めれば、ある、ない、する、
すなわち存在、非存在、行動になるのでは?
と思ったわけ。
これらが右手の三大アルペジオに配置されていることが、
薙刀式が本質的に文章を書くためのものである、
という主張だ。
「文章の本質とはなにか?」
から配列を考えた人は、
たぶん僕しかいなくて、
だから薙刀式は異色の配列だったりする。
まあそんな難しいことを考えなくても、
あるJI、ないMK、するOIのアルペジオは気持ち良い。
もちろん、他の「文章の本質」の別解もありえるだろう。
だけどそのアプローチの配列はまだない。
本質的なことを良い運指で打つ。
それが思考の背筋を伸ばし、
背骨の通ったものを書かせるに違いない。
人生は、あるか、ないか、するかだ。
そんな文章を書きたければ薙刀式を使え。
2024年03月09日
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