2024年03月09日

【薙刀式】薙刀式を使う理由

人生は、あるか、ないか、するかだ。
そんな文章を書きたければ薙刀式を使え。


※薙刀式の右手部(・は省略、削はBS)

 ・削るす・
 ・あい・・
 ・な・・・


僕は色んな配列をいろいろ使ってみるべきだと考えているが、
薙刀式をその中の候補に入れるには、
ある程度目立たなければならない。
なので、ちょっと尖ったことでも書いてみるか、
と思って冒頭の惹句でも書いてみた。


薙刀式が他の配列と異なる要素はたくさんあり、
わりとキャラの立ってる配列だとは思うのだが、
それらを列挙してもぼんやりしてしまうだけなので、
たった一つに絞ることで尖ってみた。


ホームポジション近辺のアルペジオに何を入れるかは、
モダンな各配列の設計思想によって異なる。
(アルペジオを入れていない配列もある)
多くの配列が採用しているのは、
1gram頻度の統計順で並べる、
2gram連接を考えた上で並べる、
などだ。

いずれにせよ、
「統計でよく出てくる順」を採用している。
それはそれで合理なんだけど、
薙刀式は異なる考えで右手心臓部をつくっている。

それは、
「文章とは何を書くものなのだろう?」
という、人間の本質、言語の本質まで下りた考察だ。


発言とは何をすることか、
物語を書くとは何をすることか、
思考するとは何をすることか、
言いたいこととはどのような形をしているのか。

煎じ詰めれば、ある、ない、する、
すなわち存在、非存在、行動になるのでは?
と思ったわけ。

これらが右手の三大アルペジオに配置されていることが、
薙刀式が本質的に文章を書くためのものである、
という主張だ。


「文章の本質とはなにか?」
から配列を考えた人は、
たぶん僕しかいなくて、
だから薙刀式は異色の配列だったりする。
まあそんな難しいことを考えなくても、
あるJI、ないMK、するOIのアルペジオは気持ち良い。

もちろん、他の「文章の本質」の別解もありえるだろう。
だけどそのアプローチの配列はまだない。


本質的なことを良い運指で打つ。
それが思考の背筋を伸ばし、
背骨の通ったものを書かせるに違いない。


人生は、あるか、ないか、するかだ。
そんな文章を書きたければ薙刀式を使え。
posted by おおおかとしひこ at 20:46| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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