表現テクニックのひとつ。
たとえばさっき書いた、
カナ配列薙刀式のキャッチコピー。
人生は、あるか、ないか、するかだ。
そんな文章を書きたければ薙刀式を使え。
キーボード配列というスケールに対して、
「人生は、」と主語を大きくするテクニックだね。
逆に主語を小さくするとどうなる?
指一本の動きが、紡がれる小説のすべてに関わるから。
なんて風にすればいい。
扱うテーマ=キーボードというスケール感を基準にしよう。
それより大きなものと、小さいものを考えればいいわけ。
もちろん関係ないものじゃ意味がないので、
関係する、大きなものと小さなものだ。
この場合、
大きなものは人生や小説、
小さなものは指一本だね。
大から小を見てもいいし、
小から大を見てもいい。
そのことで、「普段と違うスケール感」を感じる。
それが表現の落差になるわけだ。
好きな子を褒めるときに応用してみよう。
大から攻めるなら、
「君が通り過ぎると目で追ってしまう」
という風に、スケールを空間レベルにしてみよう。
小から攻めるなら、
「ほんの少し君が目を動かすだけで、
僕の気持ちがぐらぐら動く」
とでもしてみようか。
目を動かすのはミリだろうが、
起こってることはミリじゃないわけだね。
こんな風に、
物理スケールと違うことでそれを表現すると、
その価値を色々コントロールできるよ。
大谷は190センチの肉体だとしても、
100億のギャラを貰う男だ。
だから190センチどころではない、
大スケールなわけさ。
逆に小から攻めるとしたら、
「ずっと同じグローブを大切に使ってる」
とでもすればいい。(本当かどうかは知らなくて適当です)
その小さきものを大事にすることが、
190センチの男の魅力、
みたいにしていくといいんだよ。
そのスケールをそのスケールのまま語るのは、
表現力がない証拠だ。
大と小を試しに使ってみたまえ。
その対象物は何センチ?
それよりずっと大きいものは?
ずっと小さいものは?
それを見つけられたら、表現になる。
大すぎてもありがちだ。君は宇宙一美しいとか陳腐だよね。
小すぎたらよくわからない。君を細胞レベルで好きとか分かりにくい。
ちょうどいい大小を探すといいよ。
そういえば昔フジサンケイグランプリを獲った、
ナショナルのNのエコ計画のCMのタイトルは、
「小さくて大きなはなし」と僕がつけた。
地球環境という大スケールを扱うのに、
2001年1月1日生まれの、
幼稚園の女の子のスケールで描いてたんだよね。
幼児の小さな手が何かを掴んでる絵で、
地球環境というでかいことを描いてた。
そういう風にずらすと表現になるのだ。
2024年03月09日
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