2024年03月14日

こういう人が間に立つべき人だ

Twitterから。

> ひぃ @製造業コンサル@Hi_Ban_coran
> 最近やっと解って来たんだけど
> 聞く力ってのは
> 辻褄の合わない複数の発言から間違いやウソっぽいことを排除して、ファジーに言いたい事をまとめる能力なのかなと。
> 人は意外に論理的でないので、発言の中におかしい部分は高確率で含まれてる。それを完璧につなぎ合わせようとすることが愚かしいみたい

複数の人の意見調整が難しいのではない。
複数の意見が論理だっていないことに、
問題があるわけだ。


つまり必要なことは、
複数の矛盾した感情から、
一貫した鋼の論理を見出すこと、
なければつくること、
なのだ。

これが出来ないやつが繋ぎ役になってるから、
複数の人間が乗った船は沈む。


よくある仕事の風景なのだが、
クライアントの要望が都度後出しでやってきて、
営業がその度に連絡してきて、
それじゃあこの企画が全然変わるよな、
それじゃあこのコンテの狙いは全然変わるよな、
になることがよくある。
多分一回の仕事に30回くらいある。

その都度右往左往してるやつらがバカみたいに見える。
なぜ首根っこを押さえて、
「結局何がしたいのか、
そのために一本の太いコンセプトを引く」
をしないのかと思っている。

で、クライアントは複数の人間で構成されていて、
○○さんはこう言ってるが、
××さんはこう言ってる、
などの矛盾した要求を呑まなければならず、
そのたびに作品が傷を受ける。
僕みたいに「は? ふざけんな矛盾だろ」
と突っぱて作品を守るタイプもいるし、
「はいはいいうこと聞きますよ」と、作品のレベルを下げる人もいる。
今人気なのは後者だ。

そもそもクライアント内での意見調整、
ないし一本の太いコンセプトが出来ていない。
それは、複数の人が一貫した論理で話していないからだ。

一貫した論理だけで話し合えば、
即時矛盾は発覚するし、
即時解決策を練り、
即時太いコンセプトに落とし込めるだろう。
それは純粋に数学の問題だからだ。
たぶん、京大の入試の数学より簡単だと思う。

だけど、
一貫した論理的な議論のできない、
しかもレイヤーに分かれた情報が、
複数回、ディレイを伴ってやってくる。

コンセプトを守るのではなく、
都度クライアントのご機嫌を損ねたくない、
「間に立つ人」が、
すべて言うとおりにせよと指示する。



こうして、
広告はつまらなくなったし、
大型映画はめちゃくちゃだし、
東京五輪のコンセプトは壊滅的だったし、
大阪万博も空中分解間際である。
たぶん、太平洋戦争の失敗も同じ原因だろう。

一貫した論理だけで話せればその問題は回避できる。
あるいは、
「今私は感情的であり、
一貫した論理に基づいて話していない」と、
自覚できれば、
一貫した太いコンセプトにコミットするかどうか、
それを変更するべきかの議論をできるだろう。


一貫した太いコンセプトとは、
「メンバー成員たちの調整の結果の、
全部の都合を満たす玉虫色で、
最後まで遂行するためだけのメンバー間の約束」ではなく、
「客のお楽しみ」であるべきだ。

そうなっていないことに、
メンバー成員が気づいていないから、
惨状が蔓延するのだろう。



間に立つ人は、
上と下の言っていることを翻訳することが仕事だ。
その翻訳が間違っていようといなかろうと、
その仕事を完遂する上で、
太い一貫したコンセプトを捻りだせるかどうかにかかっている。

色々ございますが、それってこういうことですよね、
が太くないと、
そもそも「提供先の客のお楽しみ」は太くならない。

そのことを知っている、
「間に立つ人」はとにかく少ない。
だから悲劇はどこででも起こっている。



よくクライアントさん達が言うんだよ。
「私たちの言いたいことを分かってくれてる」とか。
そもそも「私たちの言いたいこと」を、
クライアントは明文リスト化する能力がないのさ。
痒いところはどこですか、と言いながら、
ノーヒントで痒いところをかけないといけないらしい。
聞いた時点で答えを持ってないから、
いつまで経っても部分直しで大混乱大疲弊大壊滅になるのだよ。
posted by おおおかとしひこ at 13:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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