2024年03月15日

【薙刀式】qwerty否定論者を増やしたい

論理配列を変えるだけのモチベをつくるには、
qwertyに否定的になる必要があると思う。

「別に困ってないけど?」と思ってるうちは、
どんな論理的説得、感情的説得も意味がない。
現状を否定する、インチキな不安屋商売に見えてくると思う。


Twitterから。
> もりやん/豆苗わかば@catfist
> キースイッチのバネを思い切って軽くしてからqwertyローマ字クソだなという気持ちになってきた。
> バラバラ打鍵がしんどい
> たぶん、従来は遠いキーを取るのにバネの反動を利用してフォームを作っていたのだが、それができないのでえっちらおっちら取りに行く感覚になる

> 逆に言うと、アルペジオを意識した論理配列だと全体的な動きが小さくなるので、大岡さんがバネを超軽くしてるのは理解できる
> バネが軽くてアルペジオできたらそりゃあ楽だろうが、腕の自重をどう支えるかがよく判んねえんだよな。体幹で支えると重くね

僕とは別のルートで、
「やはりqwertyはおかしいのでは?」
とたどり着いたようだ。

僕の場合:
qwertyは合理的な運指ではない
→合理的な運指の薙刀式をつくる
 (運指距離をアルペジオなどでまとめて、小さくする)
→キーの押下圧重い
→軽くした
→快適
→qwertyはダメな配列だ

もりやんさんの場合:
キーの押下圧を軽くした
→qwertyのバラバラ運指が無駄
→運指をまとめたい
→アルペジオなどで運指距離を縮めれば楽になれるのに…
→qwertyはダメなのでは?

いずれにせよ、
軽い押下圧はすばらしい、qwertyのバラバラで長距離運指はクソ、
アルペジオなどを用いた短い指の動かし方(=論理配列)が答え
という結論に辿り着くわけだね。


総合的な運指距離はGPSなどを付けて計測するしかないんだけど、
薙刀式で概算してみよう。

僕の薙刀式の速度が1500字(変換後)/10分、
qwertyが530字(変換後)/10分。
薙刀式:qwerty=2.83:1

総打数で比較すると、
1カナを出すのに必要な平均打鍵数は、
薙刀式1.3:qwerty1.7=1:1.31

単位文字数を書くために必要な運指距離は、
指の速度が同じとしたら、
結果的速度の逆数なので、
薙刀式:qwerty=1:2.83

一打鍵あたりの平均運指距離は、
それを平均打鍵数で割れば出てくる。
なので、
薙刀式:qwerty=1:2.83÷1.31
=1:2.16

ざっくりと計算したが、
qwertyは薙刀式より、2倍の距離を指が動いている。
これは無駄である。

薙刀式はqwertyの半分しか運指距離がない。
だから楽で、結果指が長持ちする。
同じ指の耐久度でいうと、
一日に2倍書ける計算だ。

またこれは、両者が同じ指の使用分布をもってる場合だが、
qwertyは最弱の左小指を12%使う、
超極悪配列だ。
仮に最弱の指が疲労度を決めるとすると、
薙刀式の左小指使用度は2%なので6倍。

つまり、
同じ疲労度で、
薙刀式はqwertyの12倍書ける。


12倍は極端だとしても、
薙刀式の運指距離はqwertyの半分だし、
弱い指への負荷は少ないから、
一日あたりの到達文字数は、
数倍は変わってくる。
これは同じ脳負荷だと仮定した時の計算だ。

実際には、
僕はqwertyを触ってる時は、
思考の何%かを指に取られて、
考える内容の質が落ちることがわかっている。

この何%は0には出来ないが、
薙刀式を使えばこの脳負荷が激減して、
思考にかなりの脳の部分を割けられる。
(ただこれより手書きの方がさらに負荷が少ないことも分かっている)

なので、
薙刀式の方がqwertyより、
生産量は何倍もあるし、思考の純度も高い。
つまり、
質も量も圧倒的だ。


このブログを始めたときを見ればわかるけど、
一日一記事もなかったと思う。
それはqwertyを使ってたからだ。
途中で変だと思ってカタナ式や薙刀式を開発してからは、
このおかしなペースで書いている。
ブログは僕の思考の記録みたいなものなので、
その効率は上がっていると思われる。



qwertyの欠点については今更繰り返すまい。
だけど運指がバラバラしている、
という感想は合っている。
アクション数は多いし、
運指距離も多いからだ。

そしてqwertyは「指の動かし方」であるから、
日本語をこれで書く限り、
この指の動かし方は永遠に付きまとう。
指の動かし方を変えたければ、
論理配列を変える以外にないわけだ。


僕が「指の動かし方を変える以外にない」
と最初に思った時は、
まだ自作キーボードはなくて、
論理配列を変えるしか方法のなかったときだ。
(いうて6年前くらい?だけど)
キーボードは既製品から選ぶしかなくて、
当時はHHKBの45g、リアルフォースの30gしか、
軽いキーボードがなかった。

もし先に自作キーボードに出会ってたら、
論理配列を変えないまま、
もりやんさんルートでqwertyはおかしいのでは?
と疑問に思ったかもしれない。



まあ、
物理を最適にいじったら、
指の動かし方の一連のセット=論理配列も、
いじりたくなるのも当然だろう。

そこまで突き詰めて、
ようやくqwertyに否定的になる。
「そもそもこれが間違ってるのでは?」と。

ただ何も考えずqwertyをマスターして、
ただ何も考えず既成キーボードを使ってたら、
目覚めることもあるまい。


長く残ってるものには、
効率的最適化があることが多い。
特に身体的所作を伴うものほどそうだ。
エネルギー的ショートカットの獣道の集大成だ。
代表的なのは武術であり、ナンバや能の作法であろう。
筆文字だってそもそもそれが日本語としての最適化のはずだ。

キーボードによる日本語入力誕生が、
仮にワープロだとして1980年として、
44年かかって、
ようやく日本人は、最適化に至るには、
qwertyは捨てるべき身体所作なのでは?
ロウスタッガードで55〜60gのキーボードはおかしいのでは?
と気づき始めている。




なお、
> 腕の自重をどう支えるか
これはまだ答え半ばである。
とりあえずバビロンかな。手首で支えて前腕水平保持。

エルボーレストが最適解のような気がするが、
そのためのコンパクトなギアを作れないか模索している。
posted by おおおかとしひこ at 10:25| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック