レベル0の曲をプロレベルにしていこう、
という作曲動画を見た。
なかなか興味深かったので。
最初にレベル0を聞いた時
→型にハマってない感じええやん、これのどこがダメなん?
レベル1→プロレベル
段々整っていく感じはわかる。
しかし野生味が消えて、矯正されてしまった悲しみがある
最終形を見ても、
音楽理論的に正しくても、心を動かすものにはなってない。
どっかの店内で無料で流れてる素材レベル。
プロっても色々なんだなー。
実はレベル0のほうがよかったのでは?ともう一度聞いてみた
→今までの「洗練」を知ってると、
うん、たしかに田舎者のざれごとに見えてしまう。
あれ?
最初に感じた「ええやん」はどこに行ったんだろう?
これは、脚本でもよくある。
第一稿には熱情がこもっていて、
新しいことをやろうとしていて、
突っ切ろうとしてる勢いがある。
だけど、「理論」に従って直していくと、
「きれい」にはなり、
教科書的な整ったものにはなる。
だけど、それが「おもしろい」かな?
となってしまう。
で、たしかに第一稿を見直すと、
うまく行ってないところだけが気になるというね。
僕は野生味のある、刺身状態が好きなので、
「洗練されてないが、第一稿」を混ぜることがある。
煮込みすぎてグズグズになるよりましと思ってしまう。
そのへんは好みかもね。
のびたうどんよりアルデンテ、
完熟みかんより早稲みかんの方が好きだし。
正月の格付けチェックの音楽でも思ったことだけど、
「美しい」とされてる西洋クラシックって、
子供の頃聞かされすぎたせいかも知れないが、
「子供っぽい美しさ」に感じてしまう。
PTAのおばさんみたいに見えちゃう。
それを破壊するような、新しい美しさに僕は惹かれるみたい。
美しさはバランスだ、と考えると、
磐石のバランスに興味はなくて、
危ういバランスの方が好きなんだろう。
理論的に正しいことと、
人の心を動かすことは違う。
最強が愛されず、負ける側が愛されることもあるのが、
人間というものの心のあり方だ。
だから芸術はおもしろいんだけど。
2024年03月16日
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