Twitterから。
> どう考えても映画一本分の感動と満足感...これだから海外のCM鑑賞はやめられない。
https://x.com/sekaikantoku/status/1769665047310049638?s=20
僕はこれぐらいやろうと思えばできるけど、
それをビジネスとしてやってる人がいないから。
仮にこれをコンテとして持っていったとしよう。
・弊社にタイムマシンは売っていない
・仮に架空の商品だとしても、
すぐ壊れるのを描くのはいかがなものか
(壊れるようなイメージをつけたくない)
・子供だけでなく、それを買う親も主人公に
(ジジイじゃなくて普通の親にして)
・ロケのために店舗を貸すことはできない
などのようなネガティブな反応があり、
たぶん「ウチではできない」
と言われておしまいだろうね。
また仮にやりましょうと次のステップに行った時も、
・この広告を打つことでの費用対効果が分からない
(売上が何%あがるのか?)
・弊社にその体力がないです
で頓挫するだろう。
純粋制作費で3000万、
メディアに何回か流すだけでも+3000万。
その投資を、
「○○が○○円!」ということばかりやってる会社が、
「やったこともない映画風広告」に払う勇気があるとは思えない。
日本の広告が良かった時代は、
バブル景気のおかげだ。
何やってもバンバン売れて、
だとすると格好悪い田舎者の広告ではなく、
「いい広告を作ろう」と、見栄を張ったからだ。
つまり「ひまわり」を買ったのと同じなわけ。
湯水のように使えて、
ようやく玉石混交になりえる。
しかし日本経済がしぼんで、
「いいか悪いかわからんが、
良さそうな気がするのでぶっこもう」
とギャンブルする企業はなくなった。
仮にやろうぜと宣伝部が言ったとしても、
費用対効果はどれくらいですかと、
他部署が聞いてくることになる。
会社組織というのはそういうものだ。
損切りをしに行くようにできている。
結果、宣伝部が独自判断で動かせる金は少なくなり、
損はしなくなったのかもしれないが、
大きく賭けに出ることもできなくなった。
潰れなくはなったが、成長も止まったわけさ。
僕はそんな、
企業の中の人同士が、
縦割り行政の中で牽制し合い、
フィルムとしての内容がダメになっていく過程を、
20年以上見てきた。
うまくいくときといかない時がある。
うまくいくときは、
最初から担当が企画に惚れ込んで、
それをなんとか実現しようと社内でネゴシエーションをしてくれたとき。
うまくいかないときは、
それがないとき。
我々スタッフがどれだけ頑張っても、
いい企画はどんどん脛を削られて、
立てなくなってゆく。
たとえば制作途中に、
「弊社にタイムマシンは売ってないから、
すでに売ってるいくつかの商品を出してください」
となって、話がややこしくなることなどは、
99回/100回くらいあるね。
このフィルムの価値は、
もちろん監督以下スタッフによって作られたものだけど、
それをやろうとする企業が、
その価値を買いに来ない限り、
価値は世の中に伝わっていかない。
僕が日本の広告業界に入ったのはバブル末期の1997年で、
シンデレラエクスプレスみたいなのをやりたかったから。
でも監督になった2000年では、
そういう雰囲気は失われつつあり、
その椅子に座るチャンスはほとんどなかった。
2011の3.11や2020のコロナで、
日本の広告業界は大きくかわり、
今誰もムービーの価値を認めていない。
(タレントが出てるCMがなくならないのは、
タレントがパワーを持ってるからだ。
お話がパワーを持ってるから買われているわけではない)
一本3000万出す企業はいなくて、
1000万が限界値だね。
隣の芝生は青く見えるというが、
僕はこんなことをやりたくてCM監督になったんだけどな。
もちろん、
企画はいつでも出せるし、
僕の実力を知りたければ、
作品集を取り寄せてください。
今まで作ったムービーだけでなく、
作れなかった脚本たちがたくさん眠っています。
やれる人はいるのに、やれる場がないことが、
日本の広告の問題点だ。
邦画もそうかもしれないが。
2024年03月20日
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