2024年04月25日

二幕を書くのは、一幕よりエネルギーがいる

一幕までは書くのが簡単だ。
第一ターニングポイントまで書き終えたとき、
二幕をどう展開していいか、分らなくなる人は多いと思う。

それはなぜだろう。
一幕を書くのに必要だったのと、
同じエネルギーを準備すればいいのでは?と思っているからではないか。
僕の経験上、二幕を書き始めるのに、
一幕の数倍のエネルギーが必要だと思う。


色々な理由があると思う。

一幕では実質ドラマがないから、
そのドラマの本編を練ることが難しいということ。

感動や爆笑やワクワクや、泣きや喜びや、
そういうドラマ本編は、すでにできているか?
出来ていないことのほうが多いよね。

あるいは、「さてどうなるでしょう」までを描くのが一幕だが、
その「どう」そのものを考えることのほうが、
前振りよりも難しいからだよね。

また、二幕は世界が広がり、
たくさんの登場人物が出てくるパートでもあるから、
それらのキャラクターを思い通りに動かせるまでの、
膨大なエネルギーが必要になるだろう。

非日常世界のルールを設定するのも難しい。

何より、何から手を付けるべきか、
見当もつかないことが多い。


あと単純に、
一幕は30分だが、
二幕は60分、というのもデカいね。
倍のものを書くときに、
倍のエネルギーでは足りないと思う。
ざっくりだけど、4倍は見たほうがいい。
つまり、
100のエネルギーで書いた一幕の次は、
400のエネルギーで二幕を書かないといけないわけ。
それを100とか、出がらしの20とかで二幕に突入すると、
確実に失速して、エタるのは目に見えているわけだ。


なので、
二幕に到達したときは、
それを書くだけのエネルギーをためたほうがいい。
毎日書くぞ、と決めてやる人でも、
一幕と二幕の間は、一週間くらい休んで、
色々考えるべきだと思っている。
それくらい、
貯めた何かがないとしんどいよ、ということだ。


二幕を書き始めたときの、
「あれ? これどこまで続くんだ? この先、何か具体的に考えたっけ?」
という感覚は、
明らかに二幕を書くだけのモチベや準備が足りていない証拠だ。

一幕を書けた時のような、
「すべてが見えているぞ、
あとは情熱のままに書きつければ形になるはず」
という確信がないならば、
二幕に手を付けるのはやめたほうがいい。
次に何をするべき?と不安になって、
失速するのは目に見えている。

でもその確信を持つのはかなり難しい。
長い、一時間のパートをぜんぶ見据えて、
笑いも涙もありつつも、
浮き沈みの激しく、興味をどんどん更新して持続させるだけの、
二幕を書くことはかなり難しいからだ。

「あとで直せるからとりあえず進もう」という選択肢もなくもないが、
多分あまりうまくいかない。
どこかで失速するからね。
失速したときの立て直しまで考えていればいいが、
たいていどうしたらいいか、分らなくなるだろうし。


ということで、
アイデアをためよう。
力をためよう。
モチベをためよう。
それから、おもむろに二幕を書き始めよう。

それくらい気合がいるパートだ。
生半な覚悟ならば、書かないほうがましだ。
「行ける」と確信がもてるまで、
細部を創作し続けておくことだ。

二回書くが、二幕は一幕の倍あるぞ。
二倍のエネルギーでは書けない。
四倍、エネルギーを貯めるべきだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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