一幕までは書くのが簡単だ。
第一ターニングポイントまで書き終えたとき、
二幕をどう展開していいか、分らなくなる人は多いと思う。
それはなぜだろう。
一幕を書くのに必要だったのと、
同じエネルギーを準備すればいいのでは?と思っているからではないか。
僕の経験上、二幕を書き始めるのに、
一幕の数倍のエネルギーが必要だと思う。
色々な理由があると思う。
一幕では実質ドラマがないから、
そのドラマの本編を練ることが難しいということ。
感動や爆笑やワクワクや、泣きや喜びや、
そういうドラマ本編は、すでにできているか?
出来ていないことのほうが多いよね。
あるいは、「さてどうなるでしょう」までを描くのが一幕だが、
その「どう」そのものを考えることのほうが、
前振りよりも難しいからだよね。
また、二幕は世界が広がり、
たくさんの登場人物が出てくるパートでもあるから、
それらのキャラクターを思い通りに動かせるまでの、
膨大なエネルギーが必要になるだろう。
非日常世界のルールを設定するのも難しい。
何より、何から手を付けるべきか、
見当もつかないことが多い。
あと単純に、
一幕は30分だが、
二幕は60分、というのもデカいね。
倍のものを書くときに、
倍のエネルギーでは足りないと思う。
ざっくりだけど、4倍は見たほうがいい。
つまり、
100のエネルギーで書いた一幕の次は、
400のエネルギーで二幕を書かないといけないわけ。
それを100とか、出がらしの20とかで二幕に突入すると、
確実に失速して、エタるのは目に見えているわけだ。
なので、
二幕に到達したときは、
それを書くだけのエネルギーをためたほうがいい。
毎日書くぞ、と決めてやる人でも、
一幕と二幕の間は、一週間くらい休んで、
色々考えるべきだと思っている。
それくらい、
貯めた何かがないとしんどいよ、ということだ。
二幕を書き始めたときの、
「あれ? これどこまで続くんだ? この先、何か具体的に考えたっけ?」
という感覚は、
明らかに二幕を書くだけのモチベや準備が足りていない証拠だ。
一幕を書けた時のような、
「すべてが見えているぞ、
あとは情熱のままに書きつければ形になるはず」
という確信がないならば、
二幕に手を付けるのはやめたほうがいい。
次に何をするべき?と不安になって、
失速するのは目に見えている。
でもその確信を持つのはかなり難しい。
長い、一時間のパートをぜんぶ見据えて、
笑いも涙もありつつも、
浮き沈みの激しく、興味をどんどん更新して持続させるだけの、
二幕を書くことはかなり難しいからだ。
「あとで直せるからとりあえず進もう」という選択肢もなくもないが、
多分あまりうまくいかない。
どこかで失速するからね。
失速したときの立て直しまで考えていればいいが、
たいていどうしたらいいか、分らなくなるだろうし。
ということで、
アイデアをためよう。
力をためよう。
モチベをためよう。
それから、おもむろに二幕を書き始めよう。
それくらい気合がいるパートだ。
生半な覚悟ならば、書かないほうがましだ。
「行ける」と確信がもてるまで、
細部を創作し続けておくことだ。
二回書くが、二幕は一幕の倍あるぞ。
二倍のエネルギーでは書けない。
四倍、エネルギーを貯めるべきだ。
2024年04月25日
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