を浴びたことがあるだろうか。
ないならば、浴びる経験をしたほうがいい。
誰もが自分を否定されたくないだろう。
その気持ちは分かる。
自分の作品がつまらないと指摘されたら、
凹んで死にたくなる人が多いと思う。
それはまだ創作者としては未熟な証拠だ。
多少傷つくことがあったとしても、
再起不能になるべきではない、ということだ。
なんせ、
再起不能になってしまった人は、二度と創作しない。
創作品で世の中があふれているということは、
死ななかった人が継続してやっているということだ。
死んだ人は帰ってこないからね。
さて、
耐久力のある若いうちに、
こうした罵声は浴びておくとよい。
若いうちに耐性をつける、ということさ。
年取ってから全否定されたら自殺してしまう。
もっと若いうち、中学生や小学生のうちに、
「つまんねえ、ひっこめ」という罵声は浴びておくべきだ。
本当につまらないものだったら、
次こそは面白いものをつくるように努力するべきだ。
そして本当は面白いのにつまらないといわれるならば、
伝え方が間違っているか、
その客のセンスがないかのどちらか、
ということを知るべきである。
このようにして、
相手の言うことを反省に変えられる力がないと、
罵声を浴びたら即死してしまうだろうね。
最近の若者はこうした罵声ですぐに死ぬらしい。
まあそうやって淘汰が進むのかもしれない。
たかが客の一人や二人に罵声を浴びせられて、
死ぬのに理由はない。
我々が相手にする客は1億人である。
(全世界まで広げると80億人だ)
全員に罵声を浴びるまでは、
全否定ではない。
仮に全否定されたとしても、
次つくるものがおもしろければ、
とくに問題はない。
それくらいまで、メンタルを鍛えるべきで、
それが出来ていないならば、
発表してもすぐに傷ついてやめてしまうだろうね。
罵声は浴びるものだ。
世の中に反対者が一人もいないという状況は少ない。
罵声を浴びつつ、
賞賛の拍手も同時に浴びるという、
リアルな成功を積むことだ。
2024年04月29日
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