2024年04月29日

「つまんねえ、やめちまえ」という罵声

を浴びたことがあるだろうか。
ないならば、浴びる経験をしたほうがいい。


誰もが自分を否定されたくないだろう。
その気持ちは分かる。
自分の作品がつまらないと指摘されたら、
凹んで死にたくなる人が多いと思う。

それはまだ創作者としては未熟な証拠だ。
多少傷つくことがあったとしても、
再起不能になるべきではない、ということだ。
なんせ、
再起不能になってしまった人は、二度と創作しない。
創作品で世の中があふれているということは、
死ななかった人が継続してやっているということだ。
死んだ人は帰ってこないからね。


さて、
耐久力のある若いうちに、
こうした罵声は浴びておくとよい。
若いうちに耐性をつける、ということさ。
年取ってから全否定されたら自殺してしまう。
もっと若いうち、中学生や小学生のうちに、
「つまんねえ、ひっこめ」という罵声は浴びておくべきだ。

本当につまらないものだったら、
次こそは面白いものをつくるように努力するべきだ。
そして本当は面白いのにつまらないといわれるならば、
伝え方が間違っているか、
その客のセンスがないかのどちらか、
ということを知るべきである。

このようにして、
相手の言うことを反省に変えられる力がないと、
罵声を浴びたら即死してしまうだろうね。

最近の若者はこうした罵声ですぐに死ぬらしい。
まあそうやって淘汰が進むのかもしれない。

たかが客の一人や二人に罵声を浴びせられて、
死ぬのに理由はない。
我々が相手にする客は1億人である。
(全世界まで広げると80億人だ)
全員に罵声を浴びるまでは、
全否定ではない。
仮に全否定されたとしても、
次つくるものがおもしろければ、
とくに問題はない。

それくらいまで、メンタルを鍛えるべきで、
それが出来ていないならば、
発表してもすぐに傷ついてやめてしまうだろうね。

罵声は浴びるものだ。
世の中に反対者が一人もいないという状況は少ない。
罵声を浴びつつ、
賞賛の拍手も同時に浴びるという、
リアルな成功を積むことだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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