2024年04月30日

答えを出せ

なぜ物語では、答えが出るほうがいいのか。
そっちのほうが気持ちいいからだ。


たとえば、逆の「答えが出ないもの」を考えると分かる。

「ゴールへたどり着けるのか?」
→わかりませんでした。
「誰と付き合うのか?」
→誰とも付き合いませんでした

なんて物語があったら、モヤモヤするだけだろうね。

「ゾディアック」という謎の犯罪の犯人を探す映画があるのだが、
3時間かけて、
犯人が捕まらずに終る、
というひどい映画なんだよね。
実在の事件をもとにしているから、
明確な結論を避けたのかもしれないが、
3時間かけて見て、犯人はまだ捕まっていない、
って、なんのためにこの3時間を見たんや、
って怒りさえわいてくる。

「答えが出ないのが人生である、
だからリアルさを求めるために、
答えのない映画にするぞ」
なんて思っている人は、
ぜひ見てほしい。
答えがないのがいかにつまらないか、すっきりしないか、
ということが分かる映画である。


そもそも、
人生に明確な答えなどない。
すっきりして、わかった、人生に答えが見えた、
などということはめったにない。
だから、
フィクションでは明快な答えが出るのだ。
現実ではうんこの切れが悪いから、
フィクションではうんこはズバリ出るのだ。
そうしてすっきりするのが、
娯楽というフィクションである。

そもそも、
みんなズバリ言ってほしいんだよね。
人生の答えや真実を。
だから占いははやるし、
ズバリ言っているSNSはバズるし、
インフルエンサーはズバリ言って攻撃的になるのだ。
はっきりした答えがあればあるほど、
気持ちよくて信頼してしまうからだ。

そのようになるべきだ。
もっとも、
SNSや占いと違って、
映画という物語は、
長い長い人生シミュレーションである。
嘘くさいつくりものになってしまっては、
信用もなくなるというものだ。
だから、
リアリティがありながら、
答えがでなければならないわけ。

だから脚本というのは難しいのだ。
嘘くさくないようにリアリティを保ちながら、
なおかつズバリ答えを出さないといけないものだからだ。

それを常に、
なんでもいいからはっきり、ズバリと、
答えを出すものにしたい。

なぜなら、そのほうがすっきりするからだ。
モヤモヤする目的でフィクションを見る人はいない、
ということを知っておくべきだ。
ジェットコースターはすっきりするために乗るんだよね?
モヤモヤするために乗らないよね。

(逆に、乗ったらモヤモヤするジェットコースターとはどのようなものだろう。
それを考えるのは一種の訓練になるね。

僕の回答例。
一度乗るごとにアフリカの一日の死者数がモニタできるジェットコースター)


所詮はフィクションという嘘だ。
その嘘が面白く、
すっきりするようにつくるべきである。
(そしてそのすっきりこそは、
人々の幻想的な望みであることが多い。
物語とは集合的無意識である、
という意味はそういうことだ。
人々が無意識に望むことが、
うまくすっきりできるように作られているものを、
皆が求めるのだ)
posted by おおおかとしひこ at 00:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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