あたりまえの話なんだけど、
唐突といわれて批判されるならば、
段階を踏む段取りにすればいいのだ。
極端な例だけど、
突然「好きだ」と告白するとしよう。
何の伏線もなく、
いきなりそんなことを言うから、
唐突すぎて混乱するわけだ。
ということは、前振りをしていけばいいというわけ。
ちょっと好きかも知れない、という態度をとったり、
発言にそういうものを混ぜたり、
相手の意思を探ってみたり、
もし付き合ったらどうする、などの未来の話をしたらいいわけ。
その十分な伏線のうえで告白すれば、
「唐突」ではなくなるよね。
(成功するとは言っていない。唐突でなくなるだけの話)
突然雨が降ってくるのが唐突ならば、
事前に天気予報でも映しておけばよい。
雷が遠くで鳴っててもよい。
前日に梅雨入りしましたとニュースがあってもいい。
朝から湿った空気でくせ毛のセットがうまく行かない、
というシーンがあってもよい。
唐突をさけるためだけを考えれば、
前振りをすればいいだけのことである。
そして、それが伏線とばれないように、
うまく前のストーリーに混ざりこんでいるのが理想だ。
(さらにそれが伏線とばれないように、
目立っているものを、
全然違う伏線として使うのがコツだ。
たとえば毛質の話をしておいて、
それが天気の伏線だったとあとで分かるなど)
テクニックはあとで磨ける。
先にやることは、
「前振りがなくて唐突なものを、
唐突にしなくすること」だ。
もちろん、
狙いで唐突にしたい場合、
たとえば驚きが欲しいときは、
前振りや推理される隙間をなくすといいだろう。
その明確な狙いがない限り、
前振りがないことは、
つねに唐突の混乱を生むということだ。
前振りがなくて、
全てが唐突なものを考えると、
ただただ振り回されるものになるだろう。
多分疲れるだろうね。
そんな長いこと緊張は続かないものね。
わけのわからないモンスターを退治する話でも、
最初は唐突な特徴に振り回されているが、
次第に性質が分かってきて、
それらを利用するような前振りになっているはずだ。
つまり、何が起こるか分からない唐突な緊張を、
次第にコントロールできていくことがおもしろい、
というわけだよね。
そのように狙って唐突を使っていかないと、
単に下手なものになってしまうだろう。
そこまで深く考えなくても、
「これ唐突すぎるなあ」と思ったら、
どこかで前振りをつくれないかを考えておくのはいいことだ。
うまく混ぜられたら、
よい伏線だったとのちのち語られるか、
誰も伏線だったことすら気づかず、
素直にストーリーにのめりこむだろう。
僕らは後者を目指すべきだ。
玄人しか分からない、
「きちんと前振りされている」をやるべき、
という話をしている。
唐突な脚本はよくある。
それは単に下手なんだよな。
うまい人はきちんと前振りをするし、
天才はうなるような前振りをして、
伏線として使いこなす。
2024年05月01日
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