2024年05月01日

「唐突に」の反対は、「前振りがあって」

あたりまえの話なんだけど、
唐突といわれて批判されるならば、
段階を踏む段取りにすればいいのだ。


極端な例だけど、
突然「好きだ」と告白するとしよう。
何の伏線もなく、
いきなりそんなことを言うから、
唐突すぎて混乱するわけだ。

ということは、前振りをしていけばいいというわけ。
ちょっと好きかも知れない、という態度をとったり、
発言にそういうものを混ぜたり、
相手の意思を探ってみたり、
もし付き合ったらどうする、などの未来の話をしたらいいわけ。
その十分な伏線のうえで告白すれば、
「唐突」ではなくなるよね。
(成功するとは言っていない。唐突でなくなるだけの話)

突然雨が降ってくるのが唐突ならば、
事前に天気予報でも映しておけばよい。
雷が遠くで鳴っててもよい。
前日に梅雨入りしましたとニュースがあってもいい。
朝から湿った空気でくせ毛のセットがうまく行かない、
というシーンがあってもよい。
唐突をさけるためだけを考えれば、
前振りをすればいいだけのことである。


そして、それが伏線とばれないように、
うまく前のストーリーに混ざりこんでいるのが理想だ。
(さらにそれが伏線とばれないように、
目立っているものを、
全然違う伏線として使うのがコツだ。
たとえば毛質の話をしておいて、
それが天気の伏線だったとあとで分かるなど)

テクニックはあとで磨ける。
先にやることは、
「前振りがなくて唐突なものを、
唐突にしなくすること」だ。

もちろん、
狙いで唐突にしたい場合、
たとえば驚きが欲しいときは、
前振りや推理される隙間をなくすといいだろう。

その明確な狙いがない限り、
前振りがないことは、
つねに唐突の混乱を生むということだ。


前振りがなくて、
全てが唐突なものを考えると、
ただただ振り回されるものになるだろう。
多分疲れるだろうね。
そんな長いこと緊張は続かないものね。

わけのわからないモンスターを退治する話でも、
最初は唐突な特徴に振り回されているが、
次第に性質が分かってきて、
それらを利用するような前振りになっているはずだ。
つまり、何が起こるか分からない唐突な緊張を、
次第にコントロールできていくことがおもしろい、
というわけだよね。

そのように狙って唐突を使っていかないと、
単に下手なものになってしまうだろう。


そこまで深く考えなくても、
「これ唐突すぎるなあ」と思ったら、
どこかで前振りをつくれないかを考えておくのはいいことだ。

うまく混ぜられたら、
よい伏線だったとのちのち語られるか、
誰も伏線だったことすら気づかず、
素直にストーリーにのめりこむだろう。

僕らは後者を目指すべきだ。
玄人しか分からない、
「きちんと前振りされている」をやるべき、
という話をしている。


唐突な脚本はよくある。
それは単に下手なんだよな。
うまい人はきちんと前振りをするし、
天才はうなるような前振りをして、
伏線として使いこなす。
posted by おおおかとしひこ at 03:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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