2024年05月07日

理論の限界

いつも思っていることだけど、
脚本理論をこれだけ書いてきたって、
万能ではない、ということ。

所詮理論だ。限界がある。


理論に従って、面白くなるという保証はない。
ただ、
ストーリーの形をしている、
というだけのことだ。

絵と同じだ。
人の魂を奪う、とてもよい絵は、
デッサンが出来ているとは限らない。
だけど、
ほとんどのヘタクソで魂を奪わない絵は、
デッサンが出来ていない。

デッサンが出来ていることと、
傑作かどうかは必要十分関係にない。
それどころか、必要条件でも十分条件でもない。


世界を更新する新しい芸術は、
それまでにない理論から生まれる。
あるいは、理論化できない何かから生まれる。
だから理論なんて、
所詮デッサンが狂っているか狂っていないか、
しかできないわけだ。

デッサンが狂ってても、
いい絵はある。
ダメな絵のほとんどはデッサンが狂ってて、
見るに値しない。
それだけのことだ。


魂を奪う名作を書きたいときに、
理論の力を借りるのは間違いだ。
情熱とともに書くべきである。

だけど、それが分かりにくかったり、
思ったより面白くならなかったときに、
理論の力を借りて、整形できる。

もちろん、教科書的なものにしかならないだろう。
だけど、破綻しているよりましということだ。

破綻していて、なおかつ人の心を吸引してやまないものである可能性もある。
「この作品に対して、理論を使うべきか」
という分岐すらあるということだ。


とはいえ、
理論的な基礎ができていないやつが、
急にセオリーを無視した名作を連発できるとは思えない。
ピカソはめちゃくちゃな絵を描いていた人、
というイメージがあるが、
彼の中学時代の絵はめちゃくちゃうまいんだよね。
うまく描くことにあきるまで、
すごいデッサンで描いてたんだよな。

青は藍より出でて藍より青し、
ということばもある。
世界を変える傑作は、
理論の基礎の上に立って、
そこから飛び立ったときに出来ると思う。

学校と同じだ。
学校で習う知識は直接には役に立たないが、
最前線のものは、学校で習う基礎法則に従っている。


理論的に正しいから面白いわけではない。
だけど面白いものは理論的にあっている。
だから、書くことはとても難しいのだ。

理論は、デッサンが狂ってることを指摘したり、
こうすればデッサンが正しくなる、などを予言することは出来る。
どうすれば名作になるかは予言できない。

名作とは、これまでにない理論を打ち立てたもの、
という定義すらできるだろう。
posted by おおおかとしひこ at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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