いつも思っていることだけど、
脚本理論をこれだけ書いてきたって、
万能ではない、ということ。
所詮理論だ。限界がある。
理論に従って、面白くなるという保証はない。
ただ、
ストーリーの形をしている、
というだけのことだ。
絵と同じだ。
人の魂を奪う、とてもよい絵は、
デッサンが出来ているとは限らない。
だけど、
ほとんどのヘタクソで魂を奪わない絵は、
デッサンが出来ていない。
デッサンが出来ていることと、
傑作かどうかは必要十分関係にない。
それどころか、必要条件でも十分条件でもない。
世界を更新する新しい芸術は、
それまでにない理論から生まれる。
あるいは、理論化できない何かから生まれる。
だから理論なんて、
所詮デッサンが狂っているか狂っていないか、
しかできないわけだ。
デッサンが狂ってても、
いい絵はある。
ダメな絵のほとんどはデッサンが狂ってて、
見るに値しない。
それだけのことだ。
魂を奪う名作を書きたいときに、
理論の力を借りるのは間違いだ。
情熱とともに書くべきである。
だけど、それが分かりにくかったり、
思ったより面白くならなかったときに、
理論の力を借りて、整形できる。
もちろん、教科書的なものにしかならないだろう。
だけど、破綻しているよりましということだ。
破綻していて、なおかつ人の心を吸引してやまないものである可能性もある。
「この作品に対して、理論を使うべきか」
という分岐すらあるということだ。
とはいえ、
理論的な基礎ができていないやつが、
急にセオリーを無視した名作を連発できるとは思えない。
ピカソはめちゃくちゃな絵を描いていた人、
というイメージがあるが、
彼の中学時代の絵はめちゃくちゃうまいんだよね。
うまく描くことにあきるまで、
すごいデッサンで描いてたんだよな。
青は藍より出でて藍より青し、
ということばもある。
世界を変える傑作は、
理論の基礎の上に立って、
そこから飛び立ったときに出来ると思う。
学校と同じだ。
学校で習う知識は直接には役に立たないが、
最前線のものは、学校で習う基礎法則に従っている。
理論的に正しいから面白いわけではない。
だけど面白いものは理論的にあっている。
だから、書くことはとても難しいのだ。
理論は、デッサンが狂ってることを指摘したり、
こうすればデッサンが正しくなる、などを予言することは出来る。
どうすれば名作になるかは予言できない。
名作とは、これまでにない理論を打ち立てたもの、
という定義すらできるだろう。
2024年05月07日
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