漫画は現実と異なり、
表現のための多少の嘘をついている。
それはまあ分かってることだ。
だけど指摘されると、
「そんな嘘が」となることが多い。
つまり、嘘を嘘と見抜けていないわけだ。
職業的嘘つきであるべきシナリオライターが、
他人の嘘のつき方を知らないのはよろしくない。
面白い例を仕入れたので。
一家の団欒に、闖入者がやって来るアングル。
思い込みを医師に覆されて、
主婦が驚くまでを1コマでやっている。
スピード感のためにコマを割らずに、
1カットでやってるわけだ。
そのために嘘がある。
主人公の主婦の首の角度である。
よく見ると真後ろに首が捻られている。
中国雑技団でもここまでやわらかくあるまい。
しかもこれ、時計回りに振り向いたのか?
それとも反時計回りに振り向いたのか?
より簡単なのは時計回り、つまり右に振り向くほうだけど、
効果線、顔の向きから考えて、
より現実には不可能な、
反時計周りに振り向いた絵になっている。
この、
「現実には不可能なのだが、
絵として嘘をついているもの」
は、
なんのために嘘をつくのか?
という目的があることに気づくべきだ。
それはつまり、
「主婦と闖入者が目線を合わせるため」と、
「主役の顔に正面性を持たせるため」だ。
正面性というのは演劇の重要な考え方で、
「観客に尻を向けてる人は重要ではなく、
観客に顔を向けてる人が重要である」
ことをいう。
つまりこの「主婦の驚き」が重要なため、
コタツに入って背中を向けた状態で、
仮に右横へ向いて顔が見えずに驚いているよりも、
無理矢理にでも顔を向けて驚くほうが、
重要性を表現できるわけだね。
もし、
このことをリアルに、しかも顔を正面から見せたいならば、
カメラはコタツの反対側に回り、
旦那を背中向けにすればよい。
ただそうすると左右が反対になり、
画面左側から闖入者がやってくることになる。
漫画は「右から左に読む」が原則のため、
右に闖入者、左にリアクション、
という時間軸を1コマで表現するには、
左右の配置はこれしかない。
となると、間取りを左右対称に変えて、
コタツの反対側に庭があり、
そちらから闖入者が来る必要がある。
そこまで苦労してやり直すくらいなら、
わかりやすく首を後ろに向けてしまえ、
という苦肉の策が、
この嘘の正体だ。
映画の撮影では、
これらの動線、カメラ位置、正面性、
すべて計算に入れて、
座り位置や庭の位置を決める。
たとえばこの間取りだとしたら、
90°の位置関係に座らせる。
夫を奥、主婦を画面左に座らせるか、
夫を左、主婦を奥に座らせて、
画面右に振り向かせるべきだろう。
視線を合わせる間にノイズは挟まるべきではないので、
夫が左にいる方が、よりわかりやすいね。
この「驚いて振り向く」アクションを重要視するため、
この主婦は左→右に振り向く絵になっている。
だから漫画では反時計回りに270°くらい回ったことになっているが、
実写では間違っても首を後ろに向ける特撮はしないよね。
だから、座り位置とカメラ位置を、
振り向く逆算で決めておく。
それ前提で、この前の会話劇のカット割りを組み立てるわけだね。
ついでに、このコマにはもう一つ嘘がある。
右下のネコだ。
まるで闖入者に驚いて飛び上がっているように描かれているが、
もし三次元空間にいたら、
背後にいるはずの闖入者に、
前を向いたまま驚いているエスパーネコということになる。
この漫画は平面上目線があってれば、
三次元空間を無視して良い、
という時空のようだ。
こうした「立体では成立しないが、
平面上成立してれば良い」は、
空間認知の弱いといわれる女性作者に多いね。
まあそれも含めて「嘘」と考えればよいが。
正面性、目線が合うこと、
などを優先するがあまり、
三次元空間がおかしくなっている例は、
他にも探せると思う。
問題は、嘘を指摘することではなく、
嘘が手段だとして、
目的は何かを考えることだ。
こうなると、
目的と手段の関係がはっきりするだろう。
そして、それを効果的であるとかそうではない、
と評価することができる。
これはシリアスな場面なら不可能だが、
ゆるいテイストで親しみやすく狙いだから、
まあ許されるのではなかろうか。
2024年04月04日
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