2024年04月06日

ノーラン節を駆使してまでやったことがしょぼい(「オッペンハイマー」評2)

ノーラン節といえば、
「3つ以上で同時進行するものを順次カットバック」
だと僕は勝手に思っているが、
それを時系列をずらしてきたのが、
ノーラン節的には新しかったのかねえ。

でも実はこの文法自体は「パルプフィクション」以来、
散々擦られてきたものであり、
全然新しいとも思えない。
技法的には技巧的かもしれないが、
そこまでやったとしても、
なお結論がその程度かよって呆れてものも言えない。

以下ネタバレで。


結論がさ、
「世界を破壊する大変な兵器をつくって、
すいませんでした」じゃさ、
なにそれって感じだよな。

そんなの被爆国である我が国は知ってるし、
80年かかってようやくアメリカそこかよって感じだ。
じゃあ日帝も反省しろよな。

そのためだけに、
池の会話を伏せてたのに呆れてしまった。

チンケな悪役を馬鹿にしてたんじゃない、
もっと大事なことを話してたんじゃないか?
ってどんでんは実に爽快で、
思わず拍手しようと思ったら、
その会話の内容がそれかよ、
とずっこけて終わった。

同じこと、
たとえば大東亜は間違ってたよ、
などと東宝映画のオチで言えば、
韓国人は拍手喝采?
そうは思えないよね。
「今更形だけの謝罪?反省?
当事者ももういないくせに」ってなるだけじゃん。


原爆の父を題材にする以上、
この結論はむしろ予測の範囲内の大正解のひとつだから、
「なぜ彼はそう考えるに至ったか」
の方が重要ではないか?
なぜ核力がすごいのかの話も劇中ではなかったし、
なぜ核力が革命になるか、
たとえば核分裂の応用は原爆だけではなく、
原子力発電にこそ使われているわけで、
なぜそのようなことを取り上げてないのかがわからない。
単純に、科学に対する批評としてぬるいんだよな。

大統領が、
爆弾の発明者でなく、
落とした人間(=大統領)を恨む、
というくだりはとても良かったけど、
その後水爆や冷戦の危機と、
原発による電化社会(ネットやDXも含めてだ)の、
飴と鞭についての考察がなさすぎて、
原子力=原爆という単純化の頭の悪さに辟易した。
アホなアメリカ人むけ?
いや、そのわりには言葉が難しすぎて、
アホな人よくわからんやろ、
と思いながら見ていた。

つまり誰向けの映画?って思ったら、
ユダヤ人の英雄化プロジェクトの一本?
などと思ってしまうよね。
シンドラーのリストみたいなさ。


複雑なパズルを組んでまで、
やるべき答えがその程度かよ、
という失望だけが残った。



脚本技術的には、
みるべき所は嫁の造形だね。
あれはすばらしかった。
エロい女、
ダメな母親として描き、
最後はアル中?でありながらも、
夫の味方をしたのがとてもいい。
ただちょっと願望にすぎるかもね。
ノンフィクションで息が詰まってたときの、
作者の癒しパートに見えてしまう。

前から思ってるんだけど、
ノーランってゲイなのかな?
女の描き方が下手だと思うんだよな。
肉感的な女(花束を捨てる女)も、
オッパイそれでいいのか?もっといるやろ、
と思いながら見ていたなあ。

男と男の関係を描くのは上手いから、
ゲイ疑惑はずっと前から感じている。
キャリーアンモスに性欲感じないんよなー。
(マトリックス、メメント)


あとは俺ずっと気づいてなかったのが、
あの悪役がロバートダウニーJr.だってこと。

ずっとただのクソジジイだと思ってて、
でもなんだかずっと重要なポジションにいてさ、
ラストの公聴会終わって、
控え室でメガネを取った時、
「俺この役者知ってる。この目は見たことある。
誰だっけこのジジイ、かつて若い頃イケメンだった、
イケオジだな、たとえばショーンコネリーみたいな」
なんて思ってたんだが、
まさかのアイアンマンかよ!
いやー、すっかり騙されたわ。
すげえなロバートさんは。
今回の助演男優賞だな。

ジジイといえば、最後の表彰式の、
老けメイクすごかったなあ。
体が縮んだ感じがうまくできてて、
どうやったのかまるでわからなかった。
なんでもCGやAIでできちゃうから、
もはやそこで驚くことじゃないけどさ。



ここから批判しようか。

私たちはこの主人公がずっと好きになれない。
天才なのにその天才振りがわからない。
バカが脚本書いてるからだ。
最初30分くらい、ずっと予告編の切り貼りを見てるのかってくらい、
話が切り貼りすぎて、
焦点が発生しなさすぎて疲れた。

本編も実はほとんど焦点らしい焦点がなくて、
ロスアラモスつくるぞ、原爆実験成功させるぞ、
反省するぞ、真の悪はこいつだったのだ、
悪人は実は小物だったのだ、
くらいしかなかったんじゃないか。

カットバックと、
ずっと緊張感がつづく伴奏で、
誤魔化されてただけだよな。

途中からこれ音楽でひきつけてるだけやな、
と気づいてしまったので、
だいぶ飽きてた。



たぶん、
ノーランは、
時系列順で、
カットバックせずにワンキャメで、
焦点を追い続け、
きちんとテーマに腹落ちする、
ふつうの構成をやらせたら、
全然詰まらない人なんじゃない?

だから、手法に逃げてるんだろ?


ぼくはそういう王道でおもしろいものを見たいのさ。
新手法で新しくやったって、
目先を変えただけで、
まずい料理はまずいのよ。
posted by おおおかとしひこ at 00:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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