セリフが下手で、訳もあまり信用できないし、
ただ座って尋問されて、
顔芸をやってるだけに見えるから、
小道具ひとつで印象を記憶してしまうのだね。
以下ネタバレで。
花束を捨てる女
すぐ裸になって腰を振る女
手と手を合わせたら、
手を組む女(オッペンハイマーはトンネル効果の予言をしたそうだ。
それを暗示してたのか。だったら明示すべきだったのでは?)
嫁のウイスキーボトル
閃光グラスと日焼け止め
アインシュタインが帽子を飛ばされたのを拾った
林檎を齧る先生(に毒を盛った)
あたりで記憶をたどることができる。
結局外人の顔は覚えにくいし、
名前も覚えにくい人たちばかりだ。
(量子力学の巨人たちが沢山出てくるが、
誰が誰か絶対観客は覚えてない。
最後ニューメキシコに来たのは、
ボーアだっけ、ハイゼンベルグだっけ、ユダヤ人だっけ、
まあ誰でもいいのかもだが)
だから、小道具で記憶していることが多いのでは?
ノーランがゲイなんじゃね?
と疑ったのは、
女性が裸であえぐか(尋問の中で全裸になったところは面白かったが、
そんな演出が他になく出オチだったのは惜しまれる)、
アル中ダメ女か、
という女ヘイトばかりだったからだ。
しかも小道具でしっかりキャラを立てている。
一方男たちはキャラ分けが曖昧で、
人種や体格で色々変えていたようだが、
小道具によるキャラ分けはほとんどなかった。
「印象に残りにくい苦手な人は小道具でキャラ付けをして、
得意な(好きな)人は、ちょっとした違いだけで書き分けられる
(と思い込んでいる)」
という無意識が透けて見えた。
これはアウトレイジ以降のたけし脚本にも顕著で、
たけしもゲイっちゃあゲイっぽいのよね。
性的にゲイかは置いといて、
ゲイ的な嗜好というか。
僕はゲイを批判しているわけではなく、
男のキャラを小道具なしで区別できると思うなよ、
という批判をしようとしている。
アインシュタインへの絶対的な信頼感は、
ビッグファザーだよね。
藤子不二雄が手塚治虫を見るような感じなのはいいんだけど、
そもそもオッペンハイマーのブラックホール研究は、
アインシュタインの相対性理論の一つの解を見出したことだ。
そんなことが本編で少しでも描かれてないと、
オッペンハイマーの神への尊敬が、
伝わらんと思った。
それが帽子一つじゃなあ、と思ったわけだ。
たけしはアウトレイジで死に方でキャラ付けをしていて、
それにはシチュエーションや小道具を用意してるから、
まだキャラ分けできてないとは思えないが、
この映画は、
誰がチームにいたのか、全然整理できない。
デブの親友と、隣の教室の実験の先生と、
家を用意してくれた悪役と、
水爆のやつと、
軍人と、
あと誰がいたっけ?
(軍人は他にメガネと、もう一人いたな)
21世紀少年みたいな、犯人は誰だったのか、
って言われてもさ、
目立ってないアイツだよと言われても記憶に残らない。
「ようこそニューメキシコへ。
メンバーを紹介しよう。
ブラックホール理論のオッペンハイマー、
○○の○○、○○の○○…」
などと最初にやっておいて、
その時に小道具を使っておけば、
記憶に残りやすかっただろうに。
たとえば水爆のやつはいつも日焼け止めを塗ってる
(「ニューメキシコは日差しが強くて苦手だ」などと言わせてね)、
なんてやれば、ああそういうやつね、
と記憶に残っただろう。
悪役だって毎回メガネを拭く、
みたいにしとけばよかったものを。
ストロースだっけ、名前も忘れたわ。
ガラス瓶を用意して、
そこにビー玉を入れることで、
進捗を表現してるのはよかった。
最初数個しか入れてなくて、
先は長いという表現がよかったね。
ビジュアルよりも、ガラスの響く音がうまいと思った。
なんで2個ある必要があったんだっけ?
どっちかの理論の勝ちを意味してたんだっけ?
1個じゃだめだったんだっけ?
その辺の整理のされてなさが、
よくないところだ。
右の小さいやつが水爆理論で、
水爆のやつは追い抜かれて、
最後にそのグラスを持って研究所を出ていく、
みたいにすればわかりやすかったのに。
顔と名前とセリフで、記憶されると思わないことだ。
映画とはアクションである。
「なにをするか」で人は決まる。
花束を捨てた、腰を振った、
ウイスキーボトルをカバンに隠している、
帽子を拾った、
しか覚えてないのよね。
嘘でも、実験起爆ボタンはオッペンハイマーが押すべきだった。
そのボタンを押した瞬間が、
死神になった瞬間なわけで。
その後の演説でそれを象徴しようとしてたけど、
幻覚の中で黒焦げ死体を踏んだからといって、
「した」ことではないからね。
むしろ黒焦げ死体が起き上がり、
実験起爆ボタンをオッペンハイマーに突きつければ、
死体の抗議になったろうに。
公聴会、尋問会で、
座って喋ってるだけだったから、
何も覚えてないんよな。
これは原作が小説だからだろう。
座って喋るていで、色々語れるからだ。
これを映画的にしたアイデアが、
裸の女と抱き合ってるのと、
嫁に尋問官が一歩詰め寄るところ、
というのはあまりにも芸がない。
結局、映画では、
なにをしたかが重要で、
なにを言ったかは重要ではない。
「死神になってすいませんでした」ではなくて、
「起爆ボタンを押す」で表現するべきだ。
wikiによると、
> 量子力学におけるボルン-オッペンハイマー近似が、物理学者としての最もよく知られた業績である。また、中性子星の研究にからんで、星の質量がある限度を超えれば、中性子にまで縮退した星がさらに圧潰する可能性を一般相対性理論の帰結として予測し、ブラックホール生成の研究の端緒を開いた(トルマン・オッペンハイマー・ヴォルコフ限界)。
ここをうまく紐解き、
「それが原爆とどう関係したのか」を、
小道具を使って示すべきだった。
せっかく憎い先生をリンゴで象徴して、
ニュートンに毒を盛ったことまで暗示したのだから、
ブラックホールは自重で潰れることを、
リンゴを握りつぶすことで表現してもよかったはずだ。
握力ゴリラでないから、何かの器具でね。
ボルン-オッペンハイマー近似が何をしてるかは知らないが、
その主要アイデアのすばらしさと原爆を繋げる工夫を、
小道具でするべきだっただろう。
それが出来てないのは、
脚本が下手なんだよ。
これは小説でなく映画なんだから、
映画的にわかりやすくしろよな。
天才を雰囲気でしか表現できないのは、
バカの脚本だ。
ちなみにボルン–オッペンハイマー近似は、
原子核が電子より質量がはるかに大きいため、
原子核を静止してると近似して、
電子の軌道を解くものらしい。
太陽と地球の関係の近似と同じだね。
相互作用で太陽も動くのだが、
重すぎるので動いてないと近似できる。
私はアインシュタインという太陽を近似した、
地球というちっぽけなものに過ぎない、
と一言いうだけでもよかったのにねえ。
小道具で示すなら、
「女で身を持ち崩すつまらない男」
みたいにすればよかったのでは?
あるいは、車と人間の交通事故で、
誰か重要人物を殺してもよかった。
車はほとんど影響されないのに、
人間だけが遠くまで吹っ飛ばされた、
これが核だ、
といえば、ボルン-オッペンハイマー近似と、
原爆がつながるしな。
「じゃあなにかい、
吹っ飛ばされた人が別の人に当たって、
次々に吹っ飛ぶってのかい?」
「それが連鎖反応。それさえ起こせれば、
最初に車をぶつけるだけで次々に人が飛ぶ」
と言えるのにな。
こんなふうにして、
「何をした男なのか?」
を、小道具で表現しない限り、
映画にはならないと思うよ。
(今適当に調べただけなので、
正確性を欠くかもしれない)
座って喋ってるだけなのにめちゃくちゃ面白い映画には、
「11人の怒れる男」がある。
(オリジナルのヘンリーフォンダ版ね)
よく観察すると、
「喋っている」ではなく、
「謎を解く」をしていて、
回想内の「行動」が焦点になってるんだよね。
また、ナイフを机に突き立てたりと、
案外アクションを使ってることに注意されたい。
映画は行動と小道具だ。
それしか記憶に残らんよ。
明日には彼が何を言ったかは忘れてるさ。
2024年04月06日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック