2024年04月06日

人気者とは中毒にさせることである

華があるとか、スタア性があるとか、
沼らせるとか、色々な表現があるけれど、
要は人気者って、
「みんなが中毒になる魅力」があるってことだよね。

つまり、
「一過性ではなくて、繰り返し摂取」ってことなんだよ。


映画というのは、
一回性の娯楽である。

ある人生のひとときを切り取り、
事件が起こってから解決までを娯楽化したものだ。

同じ映画を二度見る人は少ない。
人生は一度きりだからね。

よほど気に入って複数回見る映画は、
中毒性があるわけ。
リピーター狙いってのは、
要するに麻薬の売人と同じわけさ。


興行とはなんだろう?
中毒患者を増やして、もっとくれよう、
という客を回転させ続けることだろうか?

芸能の本質はそうなのだろうか?
(旧)ジャニーズのやり方を見てると、
多分にそうしたものが含まれる。

つまり、DoではなくBeである。

中毒患者は、
「おなじもの」を求める。
同じ見た目、同じ性格、同じ会話。
決め台詞、決めポーズ。
キャラ変は悪だ。
同じ栄養を摂取したいのだから。

一方、映画はDoだ。
あることからあることへの変化を描く。
Beの映画はつまらないことは、
数々のうんこ映画を並べればわかる。
そうだな、We are little zombies一本あればいいや。
仮に主役4人が(旧)ジャニーズだったら、
中毒患者が同じ中毒を求めて、
リピートしまくり、
ヒットした可能性が高いね。

でも無名の人たちが出てたBeの映画だったから、
Beの中毒患者はつかなかったわけさ。



今の日本映画の興行は、
中毒患者を集めてBeをつくり、
リピらせること、
が「儲ける」ことのように定義されている気がする。
それを回転させることが、
興行を回すことのように考えられている節がある。

人気芸能人を集めて、
その中毒患者を集めて、
銀行が金を出す催しをやり、
次の催しを提出して…
をやることが、
「回す」ことのように見えている。

それ、おもしろいの?

中毒患者から見たら夢のような世界なのかな?
早く目が覚めればいいのに。

まあ、人間だから、劣化したり、
結婚したり、スキャンダルしたりして、
中毒は突然消えることがあるよね。

だから、
劣化しないCGキャラが重宝されるのよね。
ずっと「回せる」からね。

ガンダムなんてそういうことでしょ?
トイストーリーもそうなんでしょ?



(旧)ジャニーズとAKBとホストとキャバと、
CGキャラは、ビジネスが同じ本質をもっている。
中毒患者を回すという仕組みがだ。

100ワニの失敗は、
まだ中毒患者がいないのに、
完全中毒患者前提のビジネスをやってしまい、
「いや、そんなんじゃないし」
とドン引かれたことによる。


これと、物語というものの本質が、
まったく噛み合っていないのが現状だ。


物語は一回性のDoである。
世界記録達成とか、
やってみた(そして二度としなかった)とか、
私たちの人生の意味とはなにか、
人はどこまで行けるのか、
に近いものだ。

この本質と、
中毒患者を回すことが、
どんどん乖離してて、
Beの側に巻き込まれている、
というのが、
今の日本の興行の現在地点ではないか?

音楽やダンスやパフォーマンスは、
どちらかというとBeである。

だから、Doである映画が音楽的なBeに飲み込まれた、
と考えるのがいいんじゃないか?



別に興行の世界に闇のドンがいて、
「こうしろ」と指示してるわけではない。

いろんな人たちがいろんなことをやり、
成功のループが回って、
失敗した人が去っていった結果、
こうなっているだけの話だ。
自然淘汰の結果だろう。

だけど、
今度はその芸能業界自体が、
Beすぎて詰まらなくて、
毎回同じ顔ぶれで、
新しい人が出て来ず、
結果自然淘汰されようとしてるのが、
さらなる現在地点かもしれない。


僕はBeではなくDoをやりたい。
それは、物語の本質を愛してるからである。
人が何かをやり、成功する架空のものを見て、
私が勇気をもらい、人生を良くしたいからだ。

だけど今の興行は、
これでいっちょなんかやったろ、
これでおもしろくなるやろ、
という視点でものを見ていない。

なぜならば、
面白い/面白くないを判定することはとても難しく、
人気がある(中毒者が多い)/ないを判定することは、
測定すればできることだからだ。

人は易きに流れる。
だから、
興行する側は、人気かどうかしか見なくなる。



ああ、人気者になりてえ。
でもそしたらキャラ変できなくなって窮屈かな。
小倉優子がコリン星人を変えられたのは、
結婚したからだしな。



ということで、
興行のしくみと、
物語のしくみがちがうのだ。

わかってるライターと、
わかってるプロデューサーがタッグを組み、
両方を満足する興行を打たなければ、
この先映画は暗いのかもなあ、
などと、
オッペンハイマーと、
からかい上手の高木さんの予告編を見ながら思っていた。


僕の尊敬する監督の一人に、
スタンリーキューブリックがいる。
彼は毎回違うジャンルをつくってて、
二度と同じジャンルをしなかった。
中毒を避けていたのだろう。
飽きられる怖さもわかっていたのだろう。
でも今の人気監督ってさ、同じ味を出す店のことだよね?
posted by おおおかとしひこ at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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