2024年05月24日

馬脚をあらわしていく

何故最初は勢いよく書けても、
途中でぐだり、書けなくなってしまうのか?
作者の馬脚があらわれてしまうから。


つまり、
最初に勢いよく書けた部分は、
たまたまなのだ。
春のクラス分けみたいなことと同じだ。
最初は知らない人同士なりの、
ハッタリや勢いが出て、
なんか上手く行った感じがするんだけど、
次第にそのメッキがはがれて、
地金が出てくる感じ。

ストーリーそのものが良かったんじゃなくて、
勢いで書けそうと思ったから書いた、
というのが真実のところではなかろうか。


対処法はふたつある。

ハッタリがバレたのだから、
ハッタリをまた重ねる。
嘘つきのやり方だ。
目先を変えて行くことで、
その先へ興味を持たせる手法ともいえる。
ただ二時間持つかな?
大抵何もない、結果スカスカなものになってしまい、
ラストシーンで馬脚バレバレになることがある。
ファイアパンチなんかはまさにその典型だった。
最近だとオッペンハイマーも、
時系列順だと知れてる話だと思う。

もうひとつは?
ストーリー自身が熱を持ち、
多少の勢いなど関係ないように、
練り直すことだ。
放っておいても勢いがあるくらいの、
回転する車をつくることだ。
馬脚だけでなく、馬本体までちゃんとつくる。
それだけのことだ。


五月になれば、最初の勢いなどどこへやら、
大体本質通りのキャラに戻るものだ。
あるいは、
付き合って三ヶ月目あたりにそういうことがありそうだ。
そこから何をするかは、結局中身次第なんだよな。

前者のやり方で成功するのかな?
こねくり回してるうちに出来上がることもあるから、
絶対悪ではない。
ただまた最初から組み直さないと、矛盾だらけになりそうだから、三度手間くらいかかりそう。
最初から後者ができれば、それに越したことはないが、
それって難しい。

まあ、両方やりながら、ゴールまで辿り着くことさ。
そしたら、またリライトして整えればいいのだ。


馬脚は、いずれバレる。
悪役ほどバレて失脚する。

それ前提で走り、
最後にはちゃんとなってればいい。
まず走ることだ。
posted by おおおかとしひこ at 07:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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