わざわざ見終えたあとに、意味がないと腹が立つからだ。
見終えたあとに意味があると、
「意味のあるものを見たという満足感」があるからだ。
風俗のむなしさは男子しか分からないだろうか。
90分だか45分だかを楽しんだとして、
お金払って帰るときに、
虚しさに取りつかれない男子はいないだろう。
なんだったんだよ、と意味が分からなくなる。
「まあ気持ちよかったしよかった」となることは、
あんまりない。
一時の欲望に負けて無駄なことをした、
もっと有意義な時間はなかったのか、
などと思うことがよくある。
ものすごいアタリを引くことがないからだろうかね。
まあこのへんか、という感じにお金を払うこと自体が、
なんだかむなしくなるのかもしれない。
映画という娯楽も、
風俗と変わらない。
2時間コースで、
何かモノとして残るわけじゃないし、
ただ光ったスクリーンを見て出るだけだ。
それが風俗と同様に、
何もあとに残らない、
ただのから騒ぎだと、むなしくなるということだ。
気持ちよかったからいいだろ?
だけだと、むなしくなるんだよね。
すごいアクションを見たり、
すごい美人を見たり、
すごい風景を見たりしても、
なんだかむなしくなるんだよ。
逆に。
何か意味があると、人はその風俗を受け入れられる。
「彼女がいなくてむなしかった時間を埋めたのだ」
とか、
「こういう失敗をする勉強の時間だったのだ」
とかなら、
わりと受け入れられる。
しかし、
「単に気持ちいいだけで、
あとには何も残らない」ものに、
人は虚しさを覚えるのだろう。
だから、
映画には意味が必要なのだ。
意味さえあれば、
「こういう意味のある時間だった」と、
受け入れることができるんだよね。
もちろん、
オッペンハイマーみたいに、
「原爆は悪でした」を言うためだけに、
3時間付き合うと、
「その意味に対してこれは割りが合わない」
ということにもなる。
意味とそれに費やされる労力は、
釣り合わなければならない。
しかも、
客というものは「どれだけ値段以上に得したか」
を求めるものだ。
適正価格適正内容では満足しない。
ちょっと得したかどうかが大事なんだよな。
ということで、
価格以上の価値を得られることが、
求められていることだ。
コスパというべきか、
時間あたりだからタイパもある。
だから、2時間2000円以上の、
価値、意味をもらえるものだけが、
「見て得した」となる。
それ以下、何もないものは、
「見て損した」となる。
満足とはつまり、
意味かあったことだと思うわけ。
それが、
「俺様が主張する特別新しい考え」ではないんだよね。
「自分もうっすら知っていたことではあるが、
今はじめて言語化されたこと」
であると、ちょうどよく「得をした」と思うはずだ。
だから、映画には意味が必要なのだ。
もしあなたが今日死ぬとして、
その間際に、
「あなたの一生には何の意味もなかったです。
はい、おしまい」と言われたらむなしいだろう。
「あなたの一生はここで終わりですが、
実はこういう意味があったのです」となると、
ああ、よかった、人間やってて、
ってなる。
それ(の一部)を、求めているのが人間というものだ。
意味のないもの。
安い意味のあるもの。
お値段以上の意味を与えてくれるもの。
人生で生きる指針になるくらい意味のあるもの。
後ふたつが、
映画のやるべきことだ。
前ふたつは、カスであり、
時間の無駄なのだ。
それでも風俗へ男子はいく。
なんで?
そういう夢、得する何かを求めてだ。
おっさんになってしまったら、
「よーし意味のないから騒ぎでぼったくられるぞー」
と覚悟することもある。
映画館でも、
「どうせしょうもないのだろうが、
ここだけは見ておかないといけないな」
なんて覚悟しながら見ることもある。
でもそれは、
夢を見過ぎて諦めた人の、から騒ぎにすぎない。
夢を見れない物語は、
だから意味がない。
テーマがないもの、
テーマが微妙なものは、
だからカスだね。
作る意味がないとすら思う。
2024年05月26日
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