2024年04月13日

【薙刀式】合理化は速度で決まるだろうか

Twitterから。
> あらゆる合理化は速度に還元されるはずなので、合理性はまず速度で量られるべきだよ

速度原理主義とでも名付けるか。
合理化が数値で測定できるものの範囲に定義されるなら、
速度しか今のところ測定できないしなあ。


とはいえ、
「理想的な指と手と練度の持ち主」はいないので、
その人で測定することはできない。

人の手や器用度や速度が、
どれだけバラツキがあるかについての、
大規模な測定結果はない。

なので、
測定方法がすでに公平性を欠いていることはたしかだ。


「私は○○配列で○○だけ速い、
そして××配列では××しかでないので××はクソ」
という議論は、
個人の中では客観的測定(数値化されて共有できるという意味で)だが、
万人に当てはまるという意味での客観的ではない。
客観という言葉の意味の定義で変わっちゃうね。
後者は一般的、汎用性、普遍性などかも知れない。


そもそも、キーボードが変われば測定結果が変わるし、
体調や文の内容でも変わるので、
厳密な測定というのはとても難しい。

タイプウェルはそれをランダム化して平均化するわけだが、
実はコンピュータで完全な乱数をつくるのは難しく、
時計を参考にしてランダム列を変更してることが多い。
タイプウェルの攻略では、
○時台に○○ワードが出やすい/出にくいという、
一見オカルトだけど確からしいやつも見たことがあるくらいだ。

なので、
そもそも合理化=客観的速度測定はできてるのか?
という疑問符がついてくる。


で、
その他で数値化して測定可能なのは、
指の運指距離だ。
ホームポジションからの指が動いた距離を総和すればよい。
しかし上段に動いた手は必ずしもホームポジションに戻らず、
そのまま次の上段まで構えてることも多いから、
計算や測定は難しいと思う。

筋電位測定装置をつけて、
どの筋肉がどれくらい動いたかを測定することで、
疲労度を測定できるかもしれない。


あるいは、理論値最速だけど、
なぜか現実では最速ではないなんてこともあるかも知れない。
具体例は思いつかないが、
いろは坂のめんめんつさんの自由文は、
僕より遅く、
僕のタイプウェルの短距離速度は、
彼より倍ぐらい遅い。

どちらが本当の速度か、という問題もあろう。
まあ、ジャンルで変わる、でもよい。


合理性を測定可能な数値だけで計算できるのかはわからない。
「なんかわからんがしっくりくる」
というのも人にはあるからなあ。

薙刀式のBSはUの位置にあり、
親指シフトのBSは:の位置にあるが、
僕には薙刀式の方がしっくりくる。
小指より人差し指のほうが、自由が効き、強いからだろう。
その感覚を数値化できるのだろうか?

昔握力計で各指の握力を測定したり、
○指と○指のトリルを測定したり、
○指の上中下上中下みたいな反復縦飛びを測定したり、
30キー×30キーの900連接速度を測定したりしたが、
「とても歪な形をしている」ことだけがわかり、
それと配列との法則性は、
見出せたとはいえない。


要は、現実の方が複雑すぎて、
単純化する数学的合理化だけでは、
追いつかない領域が多いと僕は感じている。



とはいえ、
速度をまず測定することは、
口だけ番長じゃないことの証明なので、
その洗礼は受けるべきだろう。

僕は1500字(変換後)/10分で書くし、
それは動画では収めているが、
他の人の薙刀式動画ではもう少し遅く、
800〜1000あたりだと思われる。

そうして、層としての薙刀式の合理性がわかると、
普遍性に到達できて、
より良くなってくるとは考えている。


qwertyの普及度にくらべて、
新配列勢は少なすぎるのだ。
親指シフターを除いて、1万人いないだろうね。
1000人いる?数えればいるかな。
そして何が最強かわからんから、
団結もできないのだろう。
ゲリラ戦にならざるを得ないわけだ。

インフルエンサーや芸能人が到達するまで、
このマイナーな追求は進行するだろうね。


現実では、

非合理な配列×個人の努力や工夫による速度

合理な配列×努力しなくてヨシの速度

だから、
合理性と速度を比例関係で捉えることも難しい。

少なくとも僕は、
qwertyローマ字から薙刀式に変えて、
3倍速くなった。
他の人がどうなのか、他の配列ではどうなのか、
その例を収集することしかできないのかも知れない。

(厄介なことに、新配列を習得すると、
指の運動が綺麗になるためか、
qwertyの速度が上がることが知られている)



短距離走は才能だよなー。
絶対的に追いつけないものがある。
「咄嗟におもしろいこと言う人」も、
才能だと思う。
鍛えてその速度になれるとも思えない。

なので、
配列と才能や努力と速度は、
結果からは分離することが難しいと思う。

地頭の回転が良い人だけを5人選んで、
薙刀式をやらせたら、
急に薙刀式の速度平均があがったりして。


そういう実験をするためにも、
配列は、もっと興味を持たれてよいと思う。

それぞれに思うことを議論すれば、
気づいてないところも見えてくるだろう。




この速度をめぐる配列の議論は、
「どの武術が最強か?」と同じ形をしている。

その人のフィジカルの強さと、武術の合理性は分離しがたく、
相性というものもある。
試合形式は殺し合いが出来ない以上、
安全面に考慮しなければならず、
公平な測定ができてる保証はない。
そしてそもそもヨーイドンで試合開始をする武術はないし、
多人数や武器想定も含みだったりするので。

80年代のプロレスからUWF、中国武術、
2000年代のK1やプライド、バーリトゥード、UFCを見てきた僕は、
同じ議論だと思ってるんだけど、
ここに詳しくない人は、
「まず戦って決めろや」と思ってるに違いない。

強さは色々ある、というと逃げに見えるのよね。


とはいえ、直接対決は中2的には楽しいから、
僕が高校生や大学生だったら薙刀式タイパーとして、
RTCに出ようとしてただろう。
posted by おおおかとしひこ at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック