短距離速度、長距離速度、
コピー速度、創作文速度以外に、
議論しようとしていた速度があった。
脳で出てきた概念(書きたいこと)を、
外に出す速度みたいなもの。
僕はこれができるのは、
手書きが一番速いんだよね。
だからメモは手書きで取るし、
原稿の第一稿は絶対手書き。
(ブログとかは脳負荷の低い文章なので、
フリックか薙刀式で書いている)
次点が薙刀式。
フレーズ単位で指が走るし、
編集が楽なのでとてもよい。
手書きとの差は、漢直か否か。
普段打ってる単語で、
一発で変換できるならそう変わらないかもだが、
誤変換したとき、思った漢字が出ないときは、
かなりのストレスになる。
あと手書きは省略文字が出来るので、
ひらがなを続け文字にしたりなどして、
より「ひとつの概念単位」を「一筆書き」しやすい。
薙刀式はそれを意識した配列ではあるが、
手書きの筆跡の自由度には負ける。
三番目がフリック。
寝っ転がりながら書くのは最適。
カフェや電車でも書けるのもよい。
ただし誤変換が相当多く、
長文の一括変換が大抵ダメなので、
思考が細切れになりやすい。
編集もつらいし。
その次が喋ることかな?
僕は喋りがそんなにうまくないからこそ、
書くことが発達した人種だ。
同じことを伝えるのは、フリックの方がすらっと出る。
喋るときは、
どうも論旨がずれていくことが稀に良くある。
だから、本当に自分の脳内がきちんと出てってる?
って疑いが晴れない。
その次くらいにqwertyローマ字かな。
もう何年もまともに打ってないから、
赤ちゃんみたいになってるかもだ。
ブラインドタッチは結局完全マスターしてない。
(カナ配列をやるとqwertyが上手くなる現象があり、
今ならわりとブラインドタッチ出来ちゃうけど)
指がもつれ、左右追い越しもよくあるので、
それらに意識を取られて、
自分の思考が蒸発しがち。
これを止めたくて、配列を変えたいと思ったのだった。
脳から出る速度は特定できないが、
手書きを100として、
手書き:薙刀式:フリック:喋り:qwertyは、
100:80:65:60:15
くらいの体感速度だな。
速く打てるのは、
摩擦がなくスルッと出る感じ。
遅いのは、
摩擦が強くて、なかなか届かない感じ。
詰まってる時も多い感じ。
僕にとってのqwertyは、だから15くらいのうんこレベルなのだが、
qwertyを自分のものにできた人は、
これが80とか100行くのかも知れない。
「qwertyでものを考える」ができてるかもだ。
僕はあくまで手書きでものを考えるので、
左手使わなきゃいけないのがうざいし、
あちこちに指使わなきゃいけないのもうざいので、
この辺が大変な抵抗になる。
なので、
人によってこの速度は、かなり異なるだろうと想像する。
僕が最もqwertyを批判したいのは、
自分の思いが出て行きづらいこと、
ただ一つかも知れない。
それを具体的な要素に分解すると、
指のヒートマップが不合理だし、
運指のめちゃくちゃさの不合理、
になってくるのだろう。
人によって、
何が良いかは異なると思う。
だから僕の結論は、
薙刀式最高!だけではなく、
配列を自由に選べる社会の到来だ。
キーボードか本体に切り替えボタンがついてて、
すぐに変えられるのがよいと思う。
qwertyは僕には纏足である。
纏足を脱ぐ方法を知らない人に、
新配列の世界を知って欲しいと思っている。
2024年04月13日
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