脳内発声のことについて考えていたら、
あらためてこの不思議さに気づく。
僕は脳内発声がない。
読む時も、書く時もだ。
意図的に発生させることはできる。
デフォがオフで、オンオフスイッチがある感じ。
手書きは脳内発声なしで、それが僕のデフォだ。
ところがqwertyローマ字ではあることが、
カナ配列を使って初めて自覚した。
カナ配列では、脳内発声はない。
なので、ローマ字類を捨てて、
カナ配列に走った。
で、
脳内発声がないくせに、
小説の地の文や、脚本のト書きはわかるけど、
音声言語であるはずのセリフをどうやって書いてんの?
とふと気になってしまった。
作曲家と話したことがあるけど、
彼らはメロディが湧いてくるらしい。
それを楽譜に書き留めるだけだそうな。
楽譜を見てもメロディが頭の中で鳴るそう。
あるいは、
音楽の仕事をしてる人に、
「ピアノで指だけでフリをしてる、
エアーピアノみたいな状況で、
それがなんの曲かわかる?」って聞いたら、
わかるって。鳴るそうだ。
ほええ。
なのに、
音も鳴らない脳内で、
音として完成する文を、
なんで書けるんやろ?
と思ったわけ。
僕がセリフを書いてる時は、
意味を書いているっぽい。
つまり音はどうでもよくて、
日本語としての意味の伝え方だけを考えて、
書いているようだ。
もちろんプロなので、
脚本として発音されることを意識してるため、
同音意義はなるべく避けるとか、
音としての響きを重視したものとか、
リズムに気をつける。
でもそのチェックに回す前の、
原始的なセリフは、
どうやら音無しでつくられているようだ。
まあ、逆もあって、
脳内発声ありの人が、
とくに音を介さない、
地の文やト書きを書くのはうるさくない?
ってのもあるよな。
でも読む時に全部音がしてるなら、
音ありの環境下にずっといるから一貫してるのか。
僕の脳内では音がしない。
だから速読ができるんだよな。
斜め読みも得意なほうだ。
幼少期の発達時に、
音と意味を切り離せた子が、
頭の回転を音以上の速度に早送りできるようになり、
IQが伸びたりするんだろうか?
逆に脳内発声がある人でも、
頭の回転が速い人はいるだろう。
そういう人の脳内はどういう音がしてるんだろ?
高速回転時は音がオフになるのかね?
音は時間に縛られる。
タイパーのコツとして、
問題文を脳内発声なしで読むことが推奨されている。
その速度がボトルネックになるからだ。
逆に、
音に縛られない、僕の書くセリフは、
時間以上に意味を詰め込みすぎて、
わりと長いセリフが多いなあと思うことがあって、
二校以降でカットしていくことが多いね。
それは、脳内発声しながら上映するとやりやすい。
大学生の手書きは300字(変換後換算)/10分で、
僕の手書きは900。
タイピングの一般速度を600として、
僕は1500。
音を介さない脳内の言葉は、
ヲタクの早口みたいに沢山漏れ出てくるのだろう。
速すぎる手も、それはそれで問題なのかな?
ちなみに、
僕は文字に色が見える共感覚もちだ。
これは、五感がうまく分離せず、
脳内で混線することで起こるらしい。
僕は、文に触覚を感じることもある。
あったかいとか冷たいとか、
ふわふわしてるとか重たいとか、
尖ってるとかツルツルしてるとか。
薙刀式は、そうしたカナの色的な感覚を、
空間的な色感覚と合わせたものであることは、
前にも書いた。
それに加えて、言葉や文の触覚的感覚も、
最近は運指に感じるようになり、
それが一致してないと気持ち悪く感じる。
新下駄や飛鳥に一定の合理性を感じながらも、
その触覚的感触や、色彩的感触が、
僕と生理的に合わない、
という嫌さもあるんよね。
qwertyは論外。
つまり、
僕は音を介さずに、
意味、色、触覚で、
言葉を脳内で扱っているようなのだ。
触り方みたいなことが大事だから、
右手と左手の感度や役割に依存するよなあ。
これは、
脳内発声がある人からしたら、
全然違う光景だろうと想像する。
まあ、でも、音にも柔らかさや鋭さはあるから、
わかる感覚かもしれないが。
というわけで、
僕は音を介さずに音を使うセリフを書いてる。
考えてみると変だな。
2024年04月22日
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