2024年04月22日

【薙刀式】なんで脳内発声ないのに「セリフ」が書けるの?

脳内発声のことについて考えていたら、
あらためてこの不思議さに気づく。


僕は脳内発声がない。
読む時も、書く時もだ。

意図的に発生させることはできる。
デフォがオフで、オンオフスイッチがある感じ。

手書きは脳内発声なしで、それが僕のデフォだ。
ところがqwertyローマ字ではあることが、
カナ配列を使って初めて自覚した。
カナ配列では、脳内発声はない。

なので、ローマ字類を捨てて、
カナ配列に走った。


で、
脳内発声がないくせに、
小説の地の文や、脚本のト書きはわかるけど、
音声言語であるはずのセリフをどうやって書いてんの?
とふと気になってしまった。


作曲家と話したことがあるけど、
彼らはメロディが湧いてくるらしい。
それを楽譜に書き留めるだけだそうな。
楽譜を見てもメロディが頭の中で鳴るそう。
あるいは、
音楽の仕事をしてる人に、
「ピアノで指だけでフリをしてる、
エアーピアノみたいな状況で、
それがなんの曲かわかる?」って聞いたら、
わかるって。鳴るそうだ。
ほええ。

なのに、
音も鳴らない脳内で、
音として完成する文を、
なんで書けるんやろ?
と思ったわけ。



僕がセリフを書いてる時は、
意味を書いているっぽい。

つまり音はどうでもよくて、
日本語としての意味の伝え方だけを考えて、
書いているようだ。

もちろんプロなので、
脚本として発音されることを意識してるため、
同音意義はなるべく避けるとか、
音としての響きを重視したものとか、
リズムに気をつける。

でもそのチェックに回す前の、
原始的なセリフは、
どうやら音無しでつくられているようだ。


まあ、逆もあって、
脳内発声ありの人が、
とくに音を介さない、
地の文やト書きを書くのはうるさくない?
ってのもあるよな。

でも読む時に全部音がしてるなら、
音ありの環境下にずっといるから一貫してるのか。


僕の脳内では音がしない。
だから速読ができるんだよな。
斜め読みも得意なほうだ。

幼少期の発達時に、
音と意味を切り離せた子が、
頭の回転を音以上の速度に早送りできるようになり、
IQが伸びたりするんだろうか?

逆に脳内発声がある人でも、
頭の回転が速い人はいるだろう。
そういう人の脳内はどういう音がしてるんだろ?
高速回転時は音がオフになるのかね?



音は時間に縛られる。
タイパーのコツとして、
問題文を脳内発声なしで読むことが推奨されている。
その速度がボトルネックになるからだ。

逆に、
音に縛られない、僕の書くセリフは、
時間以上に意味を詰め込みすぎて、
わりと長いセリフが多いなあと思うことがあって、
二校以降でカットしていくことが多いね。
それは、脳内発声しながら上映するとやりやすい。


大学生の手書きは300字(変換後換算)/10分で、
僕の手書きは900。
タイピングの一般速度を600として、
僕は1500。
音を介さない脳内の言葉は、
ヲタクの早口みたいに沢山漏れ出てくるのだろう。

速すぎる手も、それはそれで問題なのかな?



ちなみに、
僕は文字に色が見える共感覚もちだ。
これは、五感がうまく分離せず、
脳内で混線することで起こるらしい。

僕は、文に触覚を感じることもある。
あったかいとか冷たいとか、
ふわふわしてるとか重たいとか、
尖ってるとかツルツルしてるとか。

薙刀式は、そうしたカナの色的な感覚を、
空間的な色感覚と合わせたものであることは、
前にも書いた。
それに加えて、言葉や文の触覚的感覚も、
最近は運指に感じるようになり、
それが一致してないと気持ち悪く感じる。

新下駄や飛鳥に一定の合理性を感じながらも、
その触覚的感触や、色彩的感触が、
僕と生理的に合わない、
という嫌さもあるんよね。
qwertyは論外。


つまり、
僕は音を介さずに、
意味、色、触覚で、
言葉を脳内で扱っているようなのだ。

触り方みたいなことが大事だから、
右手と左手の感度や役割に依存するよなあ。

これは、
脳内発声がある人からしたら、
全然違う光景だろうと想像する。

まあ、でも、音にも柔らかさや鋭さはあるから、
わかる感覚かもしれないが。



というわけで、
僕は音を介さずに音を使うセリフを書いてる。
考えてみると変だな。
posted by おおおかとしひこ at 11:41| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック