2024年04月21日

【薙刀式】配列界隈は日曜エンジニアで構成されている

といっても過言ではあるまい。

なぜなら、日本語に詳しい人が、
キーボード入力法に疑問を持った人が、
その動機であり、
バリバリエンジニアは日本語をそんなに書く動機がないからだ。


自作キーボード界隈に出入りすることで、
生のエンジニアさんたちの日常に触れることが増えた。
彼らは配列を変えることの合理性に、
当然興味を持つのだけれど、
人気なのは、
・日英共用(英語の方がむしろ使う)
・Vimやショートカットが変にならない
というわりと厳し目の条件だ。

この制約下では、
そこまで劇的な効果のある配列はなく
(Eucalyn、Hourmonyなど)、
それゆえ使用者は増えていない。

なおかつエンジニアは客先に派遣されて、
そこで支給されたデフォルトキーボードを使うことや、
ターミナル接続でキーボードを使うことがあるため、
デフォルトキーボードから動けないという事情もある。

もちろん、
仕事はデフォルト、趣味では配列変更、
なんてつよつよエンジニアもいるが、
やはり少数派だね。


そもそもプログラミングは補完入力してるから、
英語のドキュメントを書くわけではない。
また日本語ドキュメントも、
そこまで大量に書くわけではない。

となると、
そもそもエンジニアに、「文章を大量に書く」
需要、動機がないのだろう。



で。

文章を大量に書く仕事の人とは、
となると、
日本語だと作家、記者、編集者だ。
日英を両方だと翻訳者。

もちろんプロだけでなく、日曜作家、
記者、編集者、翻訳者なども含まれよう。

これらの人が、
キーボードをリアフォにしたり、
親指シフトに興味をもったり、
マッサージ屋に通うことで、
どうにかこうにか凌いでいるのが現状だろう。

この人たちは、
「配列を変える」という発想がない。
目の前にあるキーボードは、
所詮人が定めたルールに従って動いているものであり、
ルールを定めなおせば別の動きをする、
というエンジニア的な発想がないのだ。

僕はゆる言語ラジオが好きでよく見てるのだが、
文系の水野さんはキーボード回で、
「神から与えられたものだから、
余計なことは何一つしない」と語っていた。
まあそんなものだろう。
周りでも大体そうだ。

「これはどのような仕組みで動くのだろう?」
と考える人は、
人類のうち10%を切り、
それらが自然科学に興味を持つのみだ。


というわけで、
両方の世界を知っている、汽水域にいる人間だけが、
「配列を変えたろ」という発想に至る。

そこに基準となる統計があることを調べ、
膨大な評価打鍵(100万字は少ないくらい)を経て、
自分の体で保証できたものだけが、
名作配列としてできあがる。

体で試すのは、たかがへぼい計算式では、
配列のなんたるかを計算しきれないためだ。

計算式は、概算も概算しかしてくれない。
(この計算式を突き詰めようという研究者はあまりいない。
数学的に美しい形をしていないからだろう。
手の形や言語は、あまりにも複雑だ)

かつてGAアルゴリズムによる計算配列がたくさん作られたが、
人気は出なかったね。
そこまで気持ちよく打てなかったのだろう。

「気持ちよさ」は実打鍵によるチューニングを、
今のところはどうしても必要とするみたいだ。


で、こんなことをする必要がある人は、
エンジニアのことを一から学んでいる人ではない。
なので、
必要に駆られた日曜エンジニアになるしかないわけだね。
それすらも面倒な人たちにとって、
DvorakJやAHKは神であったわけだ。



Twitterから。
> AHK噛ませると反応悪くない?

それを実感できるほど打鍵の速い人は、
かなり少ないと思う。

僕のテキストメインはいまだにSurface 3という10年前のタブレットだが、
ようやく遅い箇所を感じる程度にしか、
そもそも打鍵速度は上がらないものだ。
だって手数が劇的に減るからね。

結果的な文字完成速度は上がるのに、
手の速度が落ちるのが、
配列という合理化だからだ。

処理速度は足りてる。秒6カナくらいまではOK。
7以上は実戦ではほぼないだろう。
(秒7カナ打てるなら、俳句は3秒、短歌は5秒で詠めるはずだ。
内容を考えている時、そんなことはない)

DellのノートでもDvorakJを走らせているが、
こっちは相当高速で、遅さを感じることはない。


もっとも、エディタを何を使ってるかにもよる。
wordなんて深海レベルでもう捨てた。
ずっとこれ以上軽いやつはないやろ、
のiTextを愛用している。


もし僕がつよつよエンジニアだったら、
エディタ、キーボード、配列、IMEと、
全部やりたい。
しかし所詮は元理系程度で、
おもに8ミリフィルム回してた大学生だったので、
PCのことは全然わからん。


つまり、
力のある人には動機がない、
動機のある人には力がない、
という、
わずかな汽水域で生息してるのが、
実質の配列界隈ではないかと思う。


自作キーボードの発展によって、
cレベルでファームウェアを作る人が増えた。

だけどcの読み書きできる人はそんなにいないっぽくて、
結果、キーの位置を交換する程度の、
ウェブアプリRemap経由でキーマップいじりしかしてないのが現状だ。

eswaiさんのQMK親指シフト、薙刀式は、
相当高速で、かなりよいと思っている。


というわけで、
多少の文法をわかれば、
なんでも配列を組めるDvorakJは神であった。
神は死んだのである。
(最終版はコピーできます)

そもそもその前は、
やまぶきや窓使いの憂鬱、のどかなどの神があったらしい。
それらは何で動いてたかは知らない。
10年経つと激変する世界すぎて、
レガシーはどんどん忘れ去られてゆく。

結局はOSの更新で、波にさらわれていくようだ。



配列を作れる技能と、
エンジニアに必要な技能は、
似て非なるものだ。
両方をやってる人はいない気がする。

紅皿の綾木さんも、漢直WSの岡さんも、
本業は別だと思う。
Karabiner-Elementsの作者氏、
Mozcの作者氏は、エンジニアだったかと思う。
いずれも、
自作配列はつくらずに、
配列をエミュレートするものを開発してるだけのよう。
つまり、
配列とエミュレータを両方作る労力は、
1人の人間が負うには大きすぎるのだろう。


DvorakJの作者さんは、
下駄配列を改造した○○下駄配列というバージョンを多数つくっていた。
最終的にそれを使い続けたかは、
記録に残っていない。




さて、
配列を変えるべきだ、と僕は主張するが、
それはあまりにも弱い、薄氷の上で成立していることがわかる。

もっとみんなこっちにこいよ、
と誘って、厚くしたい。
つよつよエンジニアあつまれ!

まだまだゲリラだ。
パルチザンの拠点が少ないのだ。
今足りないのは、組織を作れる人材かな。
みんな独立独歩的な変人的性格だろうから、
温和なまとめ役、世話役的な人がいるといいな。
posted by おおおかとしひこ at 09:51| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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