ああ、書けない。
これは書く上で、もっともよくある現象だ。
書くこととは、「書けない」をどう退治して、
書くか、ということだともいえる。
で、これには二つある。
分類して対処法を練ろう。
・次に書くことが思いつかない
・書くことはあるが、どう書いていいか分らない
の二種類だ。それぞれ現象と対処法は異なる。
・次に書くことが思いつかない
これは明らかな準備不足である。
大まかなプロットを準備して、
いざ書き始めたとしても、
実のところ細かいところまでは決まっていない、
というのが原因だ。
そのときに思いつくだろうと淡い期待をしていた、
そこまで細かくディテールを予想していなかった、
思いつかないのをプロット段階でごまかしていた、
などが主な原因だろう。
まあ、こういう時は、
「思いつくまで粘る」しかない。
やり方はいろいろあって、
・あんまり面白くないものだとしてもとりあえず書いてしまって、
次の面白いパートを書いてしまい、あとで戻って来ることにする
・空白にして先の面白いパートを書き始めて、
逆算できるかを考え始める
・シーンの出口だけを与えて、自由に発想する
などがある。
スタックしているときは、たいてい、
「これらのだれた状況を一掃する、
目の覚めるようなアイデア」を求めている。
だから詰るのだ。
「だれても構わん」とあきらめたとき、
進行することがまれに良くあるね。
そしてそれは、のちに何回書き直してもうまく行かないことが多い。
迷路でいうと、「そこにそもそも行ってはいけなかったのだ」
というのが結論になることが多いね。
じゃあ手戻りして別のルートを進めばいいんだけど、
どこまで戻れば脱出口に近づくか、
は分らないので、戻る勇気は出ないだろう、
というのが経験則だ。
もちろん、
・別ルートに入れる道が見えるまで、手戻りする
というベテラン的な手段もある。
でもこれは使い慣れてて、いつでも前に書いたものを越えられる自信がないと、
「これも迷い道ではないのか」
と疑心暗鬼になってしまい、また間違った道に進むに違いない。
目をつぶって間違った道を進んで、
正規ルートに戻るか、
勇気ある撤退を選び、
(また間違うかもしれないが)新しいルートを開拓するか、
という二択があるということだ。
どちらも苦しい。
坂道を上る苦しさがある。
しかし、それを抜けると、あっという間に進むことも、
経験的に良く知られている。
・書くことはあるが、どう書いていいか分らない
このパターンは、最初のパターンよりは楽だね。
ただ、
「すべての書くべきこと」が揃っているとは限らない、
ということに気付くべきなのだ。
つまり、
・全部思いついてなくて、足りない部分がある
・逆に余計な部分がある
ことをチェックできているか、
ということが問題だ。
これを防ぐには、
これからこのシーン、ないしシークエンスで、
達成するべきことを箇条書きしておくのだ。
そうすると、
多すぎるのか、足りなさすぎるのか、
分るだろう。
多すぎるならば、分割するか、削除するかせよ。
足りないならば、前のパターンになるだろう。
思いつくまでやるしかないさ。
で、
なんとなく揃ったなあと思ったら、
「間違ったルートからでもいいから書き始める」
という勇気を持つことだ。
ただそれだけでいいよ。
「この複雑なものを書くための、ベストの入り口」
は一発で見つかるとは限らない、
という覚悟をすることが、
実はこれを書くための方法論だったりする。
一番面白い入口から始めればいいよ。
あるいは、より効率的な入口でもいい。
複数入口がみつかるか?
だとしたら、複数パターン書いてもいいんだぜ。
逆に、
リライトするときは、そういう別なパターンを書いてみたっていいんだ。
あるいは、
そのシーンないしシークエンスを書き終えられたらすぐさま、
別の入り口から書くやり方があるか、
試してみてもいいんだぜ。
パズルの解法はひとつとは限らないから、
別解を考えるんだよ。
このことによって、よりベストのパターンに辿り着けるだろう。
もっとも、あれを足したりこれを引いたりしてはどうだろう?
なんてディテールに頓着してはいけない。
稿が浅いときは、構造を入れ替えたり、
構造そのものを変えてみたりして、
どの構造がベストかを探ることがよい。
いいディテールは捨てることになるから、
それを捨てるのが惜しくて、
構造を再構築できなくなってしまう愚を犯す確率が上がってしまう。
なので、ディテールは脇に置いておいて、
入口や途中や出口を全然別パターンがあり得るか、
考えたほうがいい。
それが正しければ、よいディテールはまたあとで出てくるものだ。
才能とはそれを出し続けられることだからね。
そういうわけで、
おそらく書けない現象には、
二つのパターンがあり、
二つの大きな対処法があるということだ。
でも結局言えるのは、
「練りが足りてない」ということだね。
逆にいえば、
書くとは、練りながら進む、
ということでもある。
全部が練り終えられて、あとは自動的に組み立てるだけ、
になるのがベストだけど、
そんなにうまく練られていない。
やはり現場で必要なものが分ったり、
現場でいらないとわかることも多いからね。
なので、
結局はある程度の準備と、
現場で悩むことの、
繰り返しになっていく。
もちろん、執筆が滞ったら、
取材したり妄想したりして、
どんどん材料を増やさないと、
出てくるものも出てこなくなるだろう。
(最悪なのは、パクれる何かはないか、とパクリ先を探すことだ。
参考に他の映画をみたりして気分転換ないし逃避するのはよいが、
パクるのだけはやめておけ。誰も幸せになれない)
書けないことは、
書くという人生でもっともよくある経験だ。
便秘よりも頻発するだろう。
毎日書けないことに悩まなければならない。
それが書くという人生である。
書けないのが普通だから、
書けるときにガッと書いてしまう。
それも貧乏性だと自覚することだね。
一日コツコツと同じペースで書けるやつがうらやましい。
しかし自分のやり方でしか、
ものは書けない。
2024年05月29日
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