なんであなたは創作をやるんですか?
と聞かれたことがある。
たとえば某小説家は「怒り」だと言っていたそうだ。
世の中の理不尽に怒り、理想の世界を描くために書いていると。
へえ、そんな動機もあるのかとびっくりした。
自分のそれはなにか、
暇な時に考えるのもいいことだ。
僕の場合は「つづきがしたいから」
とその場では答えた。
どういうことかというと、
昔子供の頃(僕らは第二次ベビーブーム世代で、
子供がたくさんいた)は、
テレビや漫画に溢れてて、
毎日毎日それが楽しかった。
毎朝新聞のテレビ欄を見て、
夜これを見て次はこれだな、
と計画を立てるのが好きだった。
高校生くらいまでは毎日のテレビも楽しみで、
映画館に行く特別な時間も大好きで、
漫画にも囲まれてて、
そこにゲームまで入ってきてた。
その、
楽しかったことの、つづきをしたいと、
僕は思っている。
大人になるにつれて、
あの頃輝いていた猛烈なたのしさは、
どんどん目減りしていった。
自分のハードルが上がってるのもある。
名作を見れば、それ以上はないのかとなる。
そもそも世界は楽しくないかもしれない、
なんて思うこともある。
仏陀は四苦こそが人生であるなどともいうし。
でも、
だからこそ、
自分はあの空気の中にいたいんだなと。
で、
ないから作ってるんだなと。
自分のつくるものが、
あの時ほどたのしいかは何ともいえない。
あの時の俺が見たら、
だせえな、他を見るわ、と言われるかもしれない。
だから自分の仮想観客は、
全盛期のジャンプを貪るように読んでた俺であり、
一日13時間テレビを見てた中学生の俺であり、
7:00からのアニメを楽しみにして、
8時だよ全員集合を見て、
9:00からの洋画を見てた、
小学生の俺なんだよな。
そいつらが、「うん」と言わないと、
やっぱり面白くないと思ってしまう。
仕事では、そうもいかない場面もたくさんある。
理想に対して現実が足りてなくて、
クライアントの都合や事情を汲まなきゃ行けないことも、
たくさんある。
そしてそれはこの十年で莫大に増えた。
だからこそ、
そんなくだらねえもので狂ってしまわないために、
俺は昔の俺を喜ばせるために、
「あのときのつづきは未来にあるぞ」
というために、
創作を続けてるんだと思う。
受けるとか受けないとか、
今の若者を気にすることもあるけれど、
そもそも今の若者はあんまり面白いのを知らなくて、
なんでも面白がることが多い。
(それはおべんちゃらで本音じゃないかもしれない。
本音はもっとダークで死ね死ねというのが好きかもだ)
だから、
おもしろいものとは、
あのつづきのたのしさだと思っている。
怒りを根底に置いてる人もいるだろう。
承認欲求を満たすためにする人もいるだろう。
金が欲しいからプライドを捨てる人もいるだろう。
別になんでもいいよ。
おもしろければね。
何だったら自分は創作を失敗したか?
と思うと、逆にわかるかもね。
怒りだったら、それがうまく発散できなかったとか、
承認欲求だったら、受けなかったとか、
金だったら、儲からなかったとか。
なんだったら悲しいか、失敗したかを想像すれば、
その逆が、創作の源泉なんじゃない?
僕は、あの時の俺が中指を立てるものをつくった時だな。
うまい、うまくない、儲かる、儲からない、
受ける、受けない、金かかってる、かかってない、
じゃない。
おもしろいか、おもしろくないかが、
僕にとって一番大事だね。
だから今の所の僕の最高傑作は、
ドラマ風魔だと思っている。
あれなら僕は拍手して満足する。
だから、あれを越えたいのよ。
僕が死ぬ時、
あの小学生の布団の中で、ドリフを見た後、
目をこすりながら土曜洋画劇場を見てるんだろう。
その時に自分の生涯の最高傑作が流れるのさ。
それは風魔じゃない、最新作だろう。
それを夢中で見て、おもしろかったら、
満足して、高島忠夫の解説なんか頭に入らずに、
明日は日曜だなーとか思いながら眠りにつくだろう。
各自、考えられたい。
それぞれの思いや、やり方があってよい。
2024年06月10日
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