2024年06月10日

創作の源泉はなにか

なんであなたは創作をやるんですか?
と聞かれたことがある。

たとえば某小説家は「怒り」だと言っていたそうだ。
世の中の理不尽に怒り、理想の世界を描くために書いていると。

へえ、そんな動機もあるのかとびっくりした。
自分のそれはなにか、
暇な時に考えるのもいいことだ。


僕の場合は「つづきがしたいから」
とその場では答えた。

どういうことかというと、
昔子供の頃(僕らは第二次ベビーブーム世代で、
子供がたくさんいた)は、
テレビや漫画に溢れてて、
毎日毎日それが楽しかった。

毎朝新聞のテレビ欄を見て、
夜これを見て次はこれだな、
と計画を立てるのが好きだった。

高校生くらいまでは毎日のテレビも楽しみで、
映画館に行く特別な時間も大好きで、
漫画にも囲まれてて、
そこにゲームまで入ってきてた。


その、
楽しかったことの、つづきをしたいと、
僕は思っている。


大人になるにつれて、
あの頃輝いていた猛烈なたのしさは、
どんどん目減りしていった。

自分のハードルが上がってるのもある。
名作を見れば、それ以上はないのかとなる。

そもそも世界は楽しくないかもしれない、
なんて思うこともある。
仏陀は四苦こそが人生であるなどともいうし。


でも、
だからこそ、
自分はあの空気の中にいたいんだなと。

で、
ないから作ってるんだなと。



自分のつくるものが、
あの時ほどたのしいかは何ともいえない。
あの時の俺が見たら、
だせえな、他を見るわ、と言われるかもしれない。

だから自分の仮想観客は、
全盛期のジャンプを貪るように読んでた俺であり、
一日13時間テレビを見てた中学生の俺であり、
7:00からのアニメを楽しみにして、
8時だよ全員集合を見て、
9:00からの洋画を見てた、
小学生の俺なんだよな。

そいつらが、「うん」と言わないと、
やっぱり面白くないと思ってしまう。



仕事では、そうもいかない場面もたくさんある。
理想に対して現実が足りてなくて、
クライアントの都合や事情を汲まなきゃ行けないことも、
たくさんある。
そしてそれはこの十年で莫大に増えた。

だからこそ、
そんなくだらねえもので狂ってしまわないために、
俺は昔の俺を喜ばせるために、
「あのときのつづきは未来にあるぞ」
というために、
創作を続けてるんだと思う。

受けるとか受けないとか、
今の若者を気にすることもあるけれど、
そもそも今の若者はあんまり面白いのを知らなくて、
なんでも面白がることが多い。
(それはおべんちゃらで本音じゃないかもしれない。
本音はもっとダークで死ね死ねというのが好きかもだ)

だから、
おもしろいものとは、
あのつづきのたのしさだと思っている。



怒りを根底に置いてる人もいるだろう。
承認欲求を満たすためにする人もいるだろう。
金が欲しいからプライドを捨てる人もいるだろう。

別になんでもいいよ。
おもしろければね。



何だったら自分は創作を失敗したか?
と思うと、逆にわかるかもね。

怒りだったら、それがうまく発散できなかったとか、
承認欲求だったら、受けなかったとか、
金だったら、儲からなかったとか。

なんだったら悲しいか、失敗したかを想像すれば、
その逆が、創作の源泉なんじゃない?


僕は、あの時の俺が中指を立てるものをつくった時だな。
うまい、うまくない、儲かる、儲からない、
受ける、受けない、金かかってる、かかってない、
じゃない。
おもしろいか、おもしろくないかが、
僕にとって一番大事だね。

だから今の所の僕の最高傑作は、
ドラマ風魔だと思っている。
あれなら僕は拍手して満足する。

だから、あれを越えたいのよ。




僕が死ぬ時、
あの小学生の布団の中で、ドリフを見た後、
目をこすりながら土曜洋画劇場を見てるんだろう。
その時に自分の生涯の最高傑作が流れるのさ。
それは風魔じゃない、最新作だろう。

それを夢中で見て、おもしろかったら、
満足して、高島忠夫の解説なんか頭に入らずに、
明日は日曜だなーとか思いながら眠りにつくだろう。



各自、考えられたい。

それぞれの思いや、やり方があってよい。
posted by おおおかとしひこ at 08:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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