2024年06月14日

引っ掛けたり、ちなんだりする

その人や他の人が前に言ったことに、
引っ掛けたりちなんだりすると、
リンクが出来やすい。


セリフやアクションを、
前から順番に並べて、
ABCDEF...
とあったとしよう。
これらが順接で結ばれている場合もあれば、
逆説で結ばれている場合もあるだろう。
それらがストーリーのリンクということだ。
次々に展開していくとき、
順接ないし逆接でリンクされているから、
流れている、のように感じるわけだ。

別の流れが流入するときなど、
いったんリンクが途切れて、
また合流することになるね。
そのように、
ストーリーには目に見えないリンクがつながれているような構造をしている。

で、
前の発言や行動について、
それに引っ掛けて発言したり、引用したり、
ちなんだりすると、簡単にリンクをつくりやすい。
ABCDEF...
のAの場面で言ったセリフを、
Fでもう一度言ったりすると、
Aでの場面での意味を繰り返すとか、
Fの文脈で意味が変わって来るとかになるはずだ。
このとき、AFにリンクが発生するわけ。

たとえば、
Aで「おしりぺんぺん」と言ったとして、
Fで「うんこぺんぺん」にアレンジしたら、
Fだけの文脈でなく、Aの意味も考えたうえでの発言になると思う。
Aで「夜道に気を付けることだな」と言ったとしたら、
Fで「昼間も気をつけろ」なんて言えば、
AをFで強化したことになるわけだ。

こんな感じで、いかようにもリンクをつなげることができるわけ。
このことによって、
「すべてがつながっている」という感覚をつくることができるわけだね。

よくあるのは、
Aで質問して答えが出なかったものを、
Fで答えが出る、みたいなこと。
Aで「仕事と私とどっちが大事なの?」と振っておいて、
Fで「仕事よりもきみだ」と言わせれば、
リンクがつながる。
いきなりこのセリフを言っても忘れてるだろうから、
「仕事ときみとどっちが大事か聞いたよな?」
「ええ聞いたわ」
などの前振りがあるだろう。
あるいは、
フラッシュバック: 「仕事と私とどっちが大事なの?」
もよく使われる手法だね。


ランダムなものがただ並んでいるものはストーリーではない。
ストーリーとはすべての要素がつながり、関係しているものだ。
その関係性を探りながら観客は見ているわけだから、
リンクをどこかにつくると、
観客はつながりを感じ、意味をつなげて、
ストーリーを見ている感覚から離れなくなるわけだ。


もし、ストーリーがうまくかみ合っていないなあ、
と思うときは、
前の何かに引っ掛けて何かできないか、
あるいは、
発言をするときに、
前のセリフにちなんで言えないか、などを考えてみるとよい。
あくまで文字面上のテクニックだけど、
そこにつながりができると、
気持ちもつながって来るというものだ。

もちろん、前に使ったものが、
地味で記憶に残っていないものだと、
何も覚えていないから、リンクをつくっても分かりにくいかもしれない。

分りやすいリンクは、
前に目立ったものからつなげるべきだろう。
それは伏線と解消の関係にも似ている。
派手なポイントがつながっているから、
ハッとするわけだね。



というわけで、
前のシーンを見返そう。
今のシーンで、
それらとちなんで発言できないか、
それを踏まえて追加したものにならないか、
引っ掛けて関係させられないか、
引っ掛けやすいように、目立たせられないか、
などを考えることは、
ストーリー特有のやり方だと思う。


最初に交わしたセリフを、
告白のときにもう一度交わす、
なんてのはよくあるテクニックだよね。
別れの時に交わして、アレンジされた部分が本意である、
なんて使い方もある。

最初に交わしたセリフを、
最後の対決の前に交わしてもよいよね。
そうすると、
最初からの糸が、ここで閉じるな、
という予感がするわけだ。

簡単なテクニックだけど、
応用範囲は広い。
ブックエンドテクニックもこれで使えるし、
伏線と解消のときにも使えるやり方だ。


逆に、こういうリンクがない脚本は、
ただの記録であり、
劇的なシナリオではないだろう。
posted by おおおかとしひこ at 06:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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