なぜ執筆が進まないのか?
なぜ次にやるべきことが思いつかないのか?
確定する恐怖があるから、じゃないかと思う。
昔「描かない漫画家」という漫画があった。
偉そうなことを言ってぜんぜん描かない、ニートの話だ。
「明日から本気出す」というやつだね。
何もやっていない状態だと、
まだ書いていない状態だから、
いかようにも妄想することができる。
しかし実際に一部書いてしまうと、
「これが自分の書いたもの」と確定してしまうから、
妄想よりも大したことがないことを、
目の当たりにしなければならない。
それが、妄想したものよりも、
全然実力が足りてなくて、
しょぼしょぼのものになっていることに、
プライドが耐えられないわけだ。
だから、確定したものを書かずに、
確定しない状態をキープしようとする心理だ。
つまり、確定したものは恐怖でしかないわけ。
確定してしまったら、
「こんなもんか」とバカにされてしまう。
それを避けたいわけだ。
執筆途中に、
そういう心境に陥ることはよくある。
プロット時点では、
絶対名作になるぞ、なんて意気込んでいたのに、
実際書いてみると、
どこが名作だよ、平凡だし、全然盛り上がらないし、
などと、
自分の実力に向き合うことになるわけ。
だから書いても書いても、
プロット時点での魅力ある状態に追いつかないので、
「この話はつまらないんじゃないか」と、
恐怖してしまい、
これ以上期待を下回ることを恐れて、
辞めてしまうんじゃないかと思うんだよな。
書かなければ100点だったかもしれない。
しかしここまで書いた時点で60点。
これ以上書かなければ60点で終われる。
これ以上書いたら50点、30点……になってしまう。
こういう恐怖に陥ったとき、
人は執筆を辞めてしまうのだろう。
対処法はいくつかある。
30点を覚悟して最後までやること。
プロットは100点だったかもしれないが、
実際書いたら30点のプロットだったと、諦めることだ。
完成しなかった100点よりも、
完成した30点のほうが、はるかに点数は高い。
3億倍くらいね。
でも頭の中の妄想のほうがよかったと、
ずっと後悔することになる。
でもそれは、頭の中の妄想のほうが、たいていよくなるだけのことだ。
その30点から、人々が200点の妄想ができれば、
それは200点の出来になるよ。
別の考え方として、
「戻って書き直す」がある。
先に進む前に戻って、
瑕疵を直し、次へ進む方法論だ。
50点が60点に戻り、70点に戻ることになるので、
書き続ける気力が湧くことがある。
これはとてもゆっくりになるので、
あまりお勧めできる方法ではないが、
どうしても書けない時には試してみてほしい。
どこかで自信を失っていることが原因だから、
失敗したと思っているところへ戻って直すと、
自信がちょっと湧いてくるものだ。
前に進められるだけの勢いが出てくるまで、
ちょっと進む、戻って書き直す、
またちょっと進む、戻って戻って何か所も書き直す、
を続けるといいだろう。
三歩歩いて二歩下がる、という戦術だ。
時間はかかるが、それでも前進はしているから、
そのうちまた勢いに乗れる、自信のあるポイントまでやって来るだろう。
そのときまで耐えながら、進んでいくしかないだろうね。
確定する恐怖がある。
それは、自分の才能のなさに向き合う瞬間だ。
妄想ではあんなに良かったのに、
現実の自分はたいしたことがない。
鏡の中のイケメンが、
他人の写真でぶさいくに映ってて、
現実を知らされる瞬間に近いかな。
それでも前に進もう。
あなたが書かなければ、その話は誰も仕上げられない。
お前が始めた物語だ。ケツを拭くのはお前なのだ。
最後までとりあえず書けば、
とりあえずは確定する。
これを足場にすれば、
第二稿、第三稿はもっとよく書ける。
足場がないものは、何も書けないのと同じだ。
未来の俺がもう少しよくしてくれると期待して、
今は暗闇をコツコツ進めることだ。
ときに戻りながら、
イメージとずれていたところを修正しながらでもいいだろう。
終わらない仕事はない。
終わるまでやればね。
トンネルは長いぞ。2時間の脚本というのはそういうものだ。
2024年06月18日
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