2024年04月30日

【薙刀式】押井守の身体論

もりやんさんが急に押井守論をやりはじめてて興味深い。
僕は最初から押井守には身体意識の欠落を感じていて、
それを取り戻す物語を作ってるんじゃないか、
と思っている節がある。
https://x.com/catfist/status/1784971345908134214


「アヴァロン」が一番分かりやすいか。
あの映画は「ウィザードリィ」というゲームをやったか、
やってないかで、
理解の解像度がまるで変わるので注意されたい。

ウィザードリィはドラクエの元ネタのゲームのひとつで、
パーティを組んで、
物理戦闘と魔法で化け物と戦う、
というシステムを組んだ、
ほとんど最初のゲームだ。

ドラクエは、
戦闘システムをウィザードリィから、
マップの移動システムをウルティマから採用した、
ニコイチのゲームだと思って良い。

ドラクエでは、
キャラが死んでしまうと教会で生き返らせてくれる。
ここがデジタルなゲーム的で、
無限コンティニューがここで保証される。

ウィザードリィはこうじゃない所が面白くて、
生き返るのが「確率的にたまに失敗する」んだよね。

どんなに最強キャラを育て上げても、
生き返るのが失敗したら永久に消える。

だから戦闘中の死は、かなり重たいのよね。
生きてりゃ回復呪文で100%回復するのに、
死んだら消滅の確率があるからね。

教会の呪文が、
「ささやき…」「詠唱…」「祈り…」「念じろ!」
と、徐々にテキストが出るのだが、
生き返らなかったことを思い、まじで祈ってしまう、
生と死をよく考えたゲームだった。

だから、
ウィザードリィには、
ドラクエにはない、「身体感覚があった」のよ。

何回死んでも生き返るデジタル肉体ではなく、
判断を誤ったら消失する、アナログ的な肉体がそこにあった。

もちろん、
ほんとうの身体感覚、手や足や痛みや嗅覚や、
平衡感覚や温度感覚などの、
それはない。
でも、「私の肉体の代わりがたしかにそこにある」
という感覚は、ウィザードリィにはあった。
だってまだ覚えてるもん。

その後たくさんのゲームをやったけど、
この「年齢を重ねるほど死を怖がる
(レベル上げた最強のキャラが、死ねば確率的に一発で消えるから)」
現象は、ウィザードリィにしかなかった。

まあ、プレイヤーには不評ポイントだよね。
プレイ時間が全消えだからね。

だからこの感覚は、
ウィザードリィにしかないのだろう。


さて、「アヴァロン」だ。
この映画は、
ウィザードリィの世界をベースとした、
仮想空間ゲームの物語である。
前衛と後衛とか、ウィザードリィにしかないシステムを扱ってるしね。

先にオチを言ってしまうと、
主人公はこの仮想空間の外があるとわかり、
上位世界への到達を試みる。
そこに到達した時、
これまでモノクロだった世界が、
急にカラーになって終わるんだよね。

つまり、
アヴァロンは、死と生だけの感覚を持った、
ウィザードリィ的な身体感覚の持ち主が、
さらなる全的身体感覚を求めた物語だと、
解釈することもできる。

押井守は当然ウィザードリィをやっただろう。
身体感覚のない押井が、
ウィザードリィ的な身体感覚を得て、
何かしら考えることがあった、
と考えるのは必然だ。

ということで、目的は、
「より完全な身体感覚を得ること」になるんだよな。

それは、押井には当然の欲望で自明なのだが、
映画を観る人にはそれが前提でないため、
そこの説明(感覚的な何かでもいいんだけど)がなかったため、
とてもわかりにくい作品になってしまった。

しかし、ウィザードリィにしかない身体感覚は、
まさに仮想空間ゲームにしかない身体感覚だし、
だから、「ほんとうの身体感覚がほしい」
という欲望はかなり先時代的だと思うな。

(実はネタ的には「どろろ」の百鬼丸と同じかも知れない)


「スカイクロラ」の永遠の命も、
それが進化した別バージョンだと捉えれば、
理解できると思う。

押井は、身体感覚がないゆえに、
頭だけで考察をし続けて、
自我が拡大してネットワークに溶けてゆくほど、
身体がそこにあるという感覚がないがゆえに、
身体感覚を求める作家だ、
と考えると、
もろもろの作品の辻褄は合うと思うのだ。

「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」
では、ラムちゃんの「この時間を永遠に閉じ込めていたい」
という欲望が犯人であった。
これも、文化祭前だけ活躍できる陰キャの、
ヒーロータイムを延長したいという、
身体を得たいという欲望のなせる物語であったと、
今なら解釈できるね。

「紅い眼鏡」も同様で、
この世界は架空ではないか?
と考える人は、すでに身体感覚を喪失しているわけだ。
その象徴が、メディアに現れるアイドルだった。
彼女は実在しない架空の存在のように描かれるわけ。
マトリックスやメガゾーン23とも通じる世界観は、
おそらく、
身体感覚、そこに実在する感覚を消失した人が、
「本当の世界」を求める物語だ、
といえると思う。

僕は単純に、社会からの疎外、
うまく社会に溶け込めてないことかと思っていたが、
さらにその先の感覚、
身体が今ここにある感じがしない、
というのが動機と考えると、
なかなか辻褄が合う気がする。


「攻殻機動隊」をみた時、
僕はすでに漫画を読んでたので、
ぜんぜんちゃうやん、と突っ込んだことがある。
設定を借りただけの押井守映画やんけ、と。
身体を持たない人形使いは、
まさに押井の身体感覚なんじゃない?
サイボーグ化する人たちと対比することで、
何が肉体で何が魂か、わからなくなっている、
ということだ。

機械と対比される女体は、だから必ず美女の完全な肉体だ。
あれはエロではなく、「わたしがほしいもの」なのかもしれない。

「攻殻2」は、それがさらに進み、
身体感覚との対話をやめた、形而上物語になってしまった。
だから哲学的でつまらなかったのよね。

一方劇場版パトレイバーは、
レイバーのアクションだけが肉体的であった。
映画的要請ではあったが、
あれがなければ攻殻2と同じだったかもね。
押井の身体感覚の実感は、
ロボットでしか感じられないのかも知れない。

(じゃあ身体障害者や事故による不具者が、
ロボットプロレスラーになる話とか、
やってみてほしいな)



職業柄、
子役や、子役上りの女優と仕事することがあるのだが、
特に女の子に顕著なのが離人症的な症状だ。
自分がそこにいなくて、
彼女たちの意識は俯瞰視点にいることが多い。

大人たちの欲求を読み取り、
こういうことが求められてるんでしょ、
と、自分の肉体を操るように生きている。
だから目線はこうで、表情はこうで、
タイミングはここでしょ、と、
正解に辿り着くのがとても早いのに驚く。
彼女は自分の肉体ではなく、ロボットを操ってるような気持ちらしい。
もっと我儘を言ってもいいのに、
何を求めていますかを聞いてくる。

まさに、人形使いの視点だ。


身体感覚を持たない人は、
だから、形而上的、抽象的な思考を発達させて、
俯瞰的な視点を発達させるのであろう。
歴史上の哲学者たちも、
実はそうだったのかも知れない。

僕は逆で、
身体感覚で物語の世界を探検してる感じ。

なぜ身体感覚を持たなくなったのか?
を考えると、
たとえばスポーツが苦手だった、とかありそうだ。

実は僕も苦手なのだが、
中2のカンフーブームで少林寺拳法をはじめたので、
スポーツは苦手だけど身体感覚はもってる、
というへんてこな肉体がある。

なので、身体感覚を喪失するほどではなかったので、
その(貧弱な)身体感覚で、
物語の森を探検する感じを、
書いているのだと思う。



さて、
タイピングに話を戻すか。

押井守がタイピングで書いてるかはわからないが、
僕と対極的なものであることは、
想像に難くない。

僕がこれだけタイピングに文句を言ってるのは、
「書く時の身体感覚がなさすぎる!」
に集約できるのかもしれない。

身体感覚のない人のタイピングは、
身体を経由しないから、
抽象、論理、だけの何かになるのだろう。

逆に僕は、
紙の端を感じながら、
そこにペンを分け入れる感覚で、曲線を書いて、
ものを書いている。

タイピングとは、
論理だけで作られた要素が大きいため、
身体感覚をあまりにも無視してるのでは?
というのがぼくの主張かも知れない。


じゃあ、身体感覚がなくてもタイピングできるやろ、
というとそうではなく、
我々は肉体を動かすことでしかタイピングできないので、
結局疲労、腱鞘炎、肩こり首こり眼精疲労腰痛などが、
起こるわけだ。
その身体感覚を無視して、ゴーストだけにはなれないのよね。


ということで、
身体感覚があろうがなかろうが、
我々は身体を使うことでしか字を書けない。

押井は犬で身体感覚を持っているのでは、
という説は興味深い。

僕らは、キーの接触感、打鍵感、
そして身体姿勢で、身体感覚を持つのだろう。


押井に、フットペダルとかゴリゴリにボタンがついた、
コックピットみたいなキーボードを与えてみたい。
それが彼の新しい身体感覚を拡張して、
何かスパークするんじゃなかろうか。
たとえばこんなやつ。
https://github.com/christrotter/qmk_firmware/tree/arcboard-series/keyboards/handwired/arcboard_mk19



押井守は特異な作家だ。
うる星やつらのアニメ版を見てた時、
このメガネというキャラはおもしろいなーと思ってたんだけど、
原作にいないキャラと聞いてひっくり返ったことがある。
アレは押井の分身なんだろうね。
posted by おおおかとしひこ at 12:23| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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