近代活字印刷の全否定。笑
親指シフトを練習してる人が、
原稿用紙風のに書き連ねてて、
まあファッションなんだろうけど、
https://x.com/satou19l/status/1785143293598425095
この原稿用紙が、そもそも間違いでは?
と思ったんだよね。
日本語が発達したのは、
巻物と筆だ。
つまり、続け字であり、
文字の大きさは等幅ではなかった。
漢字はそれなりに大きく、
送り仮名はそこからの流れで書く、
連綿とした流れこそが日本語であった。
それを、原稿用紙がブツ切れにしたのでは?
活字印刷は、文字を活字という等幅ブロックに還元して、
印刷を飛躍的にしやすくした大発明だが、
それは、言語の根本を分断したのでは?
と、いまさら思ってしまった。
原稿用紙なんて、
所詮活字を用意するのを楽にするための、
方便だよね?
日本語をもっとも美しく、効率よく書くための用紙ではないよね?
むしろ、
「作家がもっと書きやすくなるための、
21世紀的な原稿用紙」こそ、
発明されるべきなのでは?
小学生の頃から、
原稿用紙が苦手だった。
枠にはめる苦しい感じがして、
発想が狭められてる感じがした。
僕は身体を締め付けるものが苦手で、
いまだにネクタイを拒否している。
首から下げるIDカードも嫌いなので、
リモートを理由に出社も年数回だ。
なので、原稿用紙の、枠にはめなきゃいけないやつが、
とても嫌いなのね。
用紙何枚、という枠はめも嫌いだな。
もし巻紙で書いていい、というなら、
もっと喜ぶだろうね。
いくらでも自由に書けると喜んじゃう。
今僕が原稿を書くのは、A4の白紙だ。
枠がいっさいないので、自由に発想できる。
もし縦の罫線があったりしたら、この自由さは出てこないと思う。
薙刀式は、この自由さをなるべく再現しようとした配列である。
指は筆先のように繋がり、
軌跡が曲線を描き続ける。
エディタは、結果的に巻物に戻ってるね。
原稿用紙に万年筆、
というイメージは、
ほんとうは違ったんじゃないか?
って思えてきた。
久ヶ原の商店街に、昔の原稿用紙を売るアサヒヤという店があるんだけど、
今のコクヨの原稿用紙と違って、
とてもたくさんの種類があったと知ることができる。
ああ、アナログは自由だなーと楽しくなってしまう。
書くことこそ自由でなければならない。
そこに一文字一正方形を導入した原稿用紙は、
間違ってる説を出そう。
2024年04月30日
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