2024年06月27日

批評というのは、並べて行うものだ

批評は、点で行われない。
必ず線で行われる。
それは、批評の本質は比較だからだ。


分析でも勉強でもよい。
比較しないと、批評したことにならない、
と僕は思う。
なぜなら、
絶対的な物語というのはないからだ。

ある物語のあの場面より出来がいいとか、
あれよりは劣るとか、
そういうことが批評の本質だ。
他人の作品との比較もそうだし、
「前の作品より悪化した」などのように、
自分作品との比較文脈でも批評が行われる。

「日本映画としては破格の出来」という、
日本という枠内での比較もあれば、
「チャップリンを超える逸材」などのように、
オールタイムの枠内での比較もあろう。

もちろん、映画だけでなく、
アメリカの漫画よりも断然よいとか、
ブロードウェイミュージカルを超えていないとか、
小説ほどじゃなかったとか、
色々な物語メディアでの比較がある。

そして、
「今まで見たすべての物語と比べて」、
最高とかまあまあとか、クソとか決まる。
つまりは、
評価や批評は、
相対的な比較の末に、
第何位か決まる行為のことである。

もちろん、全体評価もあるし、
部分評価もあるだろう。
似たシーンはあるが、
その中でもこれは傑出しているとか、
単なるパクり精神やんけ、とかが批評される。

要素的に分解して、
キャラクターが上手とか、
構成がうまいとかは、
「平均的なものと比較して」ということだ。


だから、批評をするときには、
詳しくなくてはならない。
比較対象が貧弱では、
妥当な批評ではないからだ。

優秀な批評家ならば、
古今東西の名作を把握していて、
「〇〇の〇〇よりはよい(悪い)」と、
適格に立ち位置を同定できるだろう。

つまり批評とは、博物学だ。
あるものがどこに分類されるかを競うわけだ。

もちろん、案件として批評を受けている人は別ね。
どうせ忖度しかしないからね。

他人と比較しよう。
過去作品と比較しよう。
話はそれからだ。
あなたの作品は、何と比べてどうなんだ?
名作に負けているならば、
新作を作る意味なんかないぞ。

あるいは、
他の作家の新人時代と比べてどう、
でもいいよ。

レベルを上げていくんだ。
この作品以降、これ以下にぬるいことをやるとバカにされる、
という基準点になるようなものをつくるのだ。
そしてそのジャンルで最高峰になるべきだ。
posted by おおおかとしひこ at 07:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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