シークエンスや幕を書いたあと、
すぐに次のシーンは書けない。
そのまま勢いで書き始めても、たいてい挫折する。
それは、次にやるべきことをまとめていないからだ。
書くことは逆算である。
体験のように書いていても、
まるで初めてのように書いていても、
すべてはスケジュールからの逆算だ。
起こることはすでにわかっていて、それを初めてのように書くのだ。
その調子を崩すのが、
ブロック終わって、何か別のことが始まるときだ。
それまでは怒涛のように書けるから、
ついついそのペースで書けるのではないかと勘違いする。
だけど、
書くペースは極端に落ちる。
何を書けばいいか、明確になっていないからだ。
なぜかというと、まだ準備が整っていないうちに、
書き始めたからじゃないだろうか?
これから起こるべきことが全部わかっていて、
それをうまく伏線を張りながら、
整理しながら、
しかも引き込みながら、初めてのように書くことに対して、
準備が足りていないからではないだろうか?
もちろん、準備せずに書いて、
ライブ感があるように書くことは出来る。
でも出来て3シーンから5シーンくらいじゃない?
それを過ぎると、極端にライブ感が減って来ると思う。
アッパーがダウナーになり、
色気がなくなって、乾いてしまう感じがある。
ストーリーが急速に魅力を失い、
なんでこれをやっているのか、分らなくなってしまう。
それを防ぐために、
これまでとまったく違う話を始めて、
多少おもしろくなるのだが、
やはり勢いがなくなる、
なんてことはまれに良くある。
これは、次を準備していないはじめの部分、
だからだと思うわけ。
もしきちんと準備が出来ているならば、
アレとアレの伏線を張りながら、
まるで初めてのようにこれを書くぞ、
という風に、
準備万端になっているはずだ。
あとは書くだけ、みたいな。
そうなっていなくて、まあ大体こんな感じだろ、
次に起こることは自分でも分かっていない、
となっているから、
アドリブで書いたはいいが、詰まって、勢いがなくなって、
何もならないのではないだろうか。
あるシークエンスの後半はかなり書きやすい。
これまで書いてきたことが収束して、
これまでの伏線を利用できるからね。
ストーリーというのは、シークエンスの繰り返しだ。
何かが始まって、何かが終わり、
終わりきらず次へ行く。
その谷間、シークエンスとシークエンスの間で、
詰まりが起こりやすい、
ということを言っている。
原因は明らかで、
これからのシークエンスで何を書くべきか、
用意周到ではないからだ。
対策は、
次のシークエンスに名前をつけるのだ。
「〇〇へ行く」とか、「目指せ〇〇」とか、
「〇〇の真実」とか。
それの終わりはどうなるか想像して、
それに逆算して面白くなるにはどうしたらいいかを考えればよい。
尻から頭まで通しで大体できたときに、
頭の入り方が分ると思う。
逆に、尻が分らないと、頭の入り方なんて一生わからないと言ってもよい。
もっとも適切な入り方とは逆算だからね。
ということは、入り方とはパズルの正解のようなものだ。
それに辿り着いていなくて、
前のシークエンスの余韻だけで書いているから、
入口を間違えて、
次のシークエンスが始まらない、
と考えるとよいのではないか。
それは、とても細かいレベルで起こる。
30ページ先のことではなくて、
10ページ先、5ページ先、3ページ先すら、
見えていないことが多い。
勢いで数シーン書いてしまう、という現実が、
数ページ先を見据えていない証拠だよね。
詰まっているのは何が詰っているのか?
見通しだ。
これから何が起こるのか、プロットを見て整理しよう。
これから書くシークエンスは、何があればゴールなのか、
小さな名前をつけて管理すると、
小さなゴールが見えやすいかもしれない。
書けなくなることは、もっともよくあることだ。
あとから見ると、
小さなゴールが見えていなかったなあ、ということが良くある。
そういう反省のもとにこれを書いた。
2024年07月02日
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