2024年07月03日

スケジュールと段取りの数

やるべきことを逆算すると、
パンパンのハードスケジュールになってしまう。
でも、全部を描写しなくてもよい。


極端に、
「家を出る」をやってみようか。
起きて、家から出て出かけるまでの、
スケジュールを逆算して考える。

家を出る時間は〇時だから、〇時に起きるとしよう。
じゃあ前日の夜に、目的地までを検索して、
路線や地図を確認することになる。
二度寝に備えて、
当初より30分前にアラームを鳴らすとする。
起きる。
二度寝しないために、
ネットを巡回したりして、なんとか意識を覚醒させる。
起き上がる。
充電コードを外す。
布団をはぐ。
水を飲む。
トイレに行く。
着替える。
歯を磨いたりひげをそったりする。
持ち物を確認して、鞄に入れるもの、出すものを確認する。
ドアをあけて、鍵を締める。

やること多すぎだよな。

で、これらを「全部描写する必要はない」ということ。
逆にいうと、
「必要なものだけに省略できる」ということ。

必要なものは何?
あとに使われるものだ。
たとえば、
「充電コードを持っていくべきだった」ということをあとで使うならば、
スマホの充電コードを外す描写は入るはずだ。
スマホの充電が問題にならないストーリーならば、
これはなくてもよい。
歯磨きやひげそりは、朝の描写としては定番だから、
まああっても分かりやすくなるだろう。
服を着替えるのはマストかな?
起きて、次に家から出てくるときに着替え終わっていれば、
別に描写など必要ない。

こうやって、段取りを詳細に増やすことも出来るし、
どんどん省略して減らすことも出来る。

一番短いものは、
朝、家から出てくる。
のワンカットで済むんじゃない?

逆に、100でも200でも1000でも、
詳細に増やそうと思えば増やせるよね。
朝一にブログの記事をアップしたりしてもよいし、
誰かに返信してもいいし、
天気がよかったら洗濯するかもしれない。
「歯磨きをする」という段取りだけでも、
歯ブラシを取る、水を流す、
チューブを取り、残り少ないものを尻を絞って出す、
磨く、上、下、奥、裏、舌、
水を含みうがいをする、吐く、二回、
そして歯ブラシを水洗いして戻す、
などのように、
いかようにも細かく段取りを増やせるわけだ。

すなわち、
こちらの匙加減で、
1を10に割ることも出来るし、
10を1に省略することも可能なわけ。

じゃあ、何が必要?ってことなんだよ。


ある二時間のストーリーがある。
事件が起きて、解決するまでがある。
その壮大な段取りは、どのように分割されるべきか?
という話をしている。
朝家から出るだけでも100から1までコントロールできるのだから、
それらを省略したり、段取りを増やしたりすることができる、
ということなのだ。

つまり、
うまく書けないのは、
その分割の仕方を間違っているのではないか?
ってことだ。


詳細にやりすぎると、
まったく話が進まないから、
一部省略したり、大胆に全部省略することだっていくらでもできる。

「朝起きてから家から出るまで」と言っていたくせに、
「家から出てくる」のワンカットに集約することだってできるわけで。

あるいはさらに0にもできるよ。
朝出社して、「おはよう」と言えばいいんだよ。
朝家から来たことくらいは、
省略されてもわかるよね。

描かずに、それがあったことを描くことだってできるんだ。
ということは、その段階は必要なのか?
を問うことが可能になるわけだ。

もちろん、重要なものは増やすことができる。
気持ちの繊細な変化を追ったり、
細かいことをやるだけで面白くなるものは、
細かくしたほうがいいかもしれない。

(例 見たことがないものをつくるとき。
 たとえば自作キーボードをつくるさまは、
 ある程度段取りを踏むと、面白く見えるだろう。
 本編にそれがなかったとしても、
 オープニングシークエンスにそれがある、
 なんてパターンもあるよね)


つまり、
「必要に応じて、密度、粒度を変えることができる」
というのが、
書き手の自由度になるわけだ。

これをフォーカスする、などという。


たとえば、ジョンFケネディ暗殺を描くとして、
事件の詳細を描写することも出来るし、
犯人側の視点から、何カ月も前から準備するところからも描けるし、
たった一発だけで描くことも出来るわけ。

あるいは、
ケネディが朝起きてから家を出るまでを、
とても詳細に描写する、という手だってある。

それがかけがえのないいつもの日常だったと示すには、
家に帰ってきた奥さんが、
ベッドの皺を直したり、
彼がつかった歯ブラシを片付けたり、
彼が脱いだ服を畳んだりする、
そういうことで示せるはずだよね。

そのことで余計に悲しみが湧いてくるためには、
事前に朝起きる時から家を出るまでを、
詳細に描くといいわけ。
つまり、伏線として使うわけだな。


こんな風に、
ケネディ暗殺という、
現実には15分くらいで起こった事件を、
いかような段取りに分けて描くことも可能になるわけだ。


というわけで、
その段階リストは、正しいのか?

省略して、さっさと先の面白いところを増幅したほうが、
おもしろくなるんじゃないか?
あるいは、
せっかく伏線になるべきところを、
さっさと飛ばしているんじゃないか?

もっと丁寧にしたら、
気持ちが入るんじゃないか?
もっとすっ飛ばしたら、
スピード感が出るんじゃないか?

それは、目の前のことにかまけていたら、
分らなくなることが多い。

俯瞰したり、前後を考えたり、
全体のバランス感覚を考えない限り、
分らないことなんだよなあ。



ということで、
段取りは何段階あるか?
をつねに意識していくと、とくに中盤がうまく行くかもしれない。

適切な段取りの数は、
ストーリーを理解しやすくして、
感情移入を途切れさせないだろう。

「ここに8時間煮込んだものがあります」
と続ける料理番組は、
それを分っているということさ。

8時間を追いかける必要はない、と判断した、
ということだからね。
posted by おおおかとしひこ at 06:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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