やるべきことを逆算すると、
パンパンのハードスケジュールになってしまう。
でも、全部を描写しなくてもよい。
極端に、
「家を出る」をやってみようか。
起きて、家から出て出かけるまでの、
スケジュールを逆算して考える。
家を出る時間は〇時だから、〇時に起きるとしよう。
じゃあ前日の夜に、目的地までを検索して、
路線や地図を確認することになる。
二度寝に備えて、
当初より30分前にアラームを鳴らすとする。
起きる。
二度寝しないために、
ネットを巡回したりして、なんとか意識を覚醒させる。
起き上がる。
充電コードを外す。
布団をはぐ。
水を飲む。
トイレに行く。
着替える。
歯を磨いたりひげをそったりする。
持ち物を確認して、鞄に入れるもの、出すものを確認する。
ドアをあけて、鍵を締める。
やること多すぎだよな。
で、これらを「全部描写する必要はない」ということ。
逆にいうと、
「必要なものだけに省略できる」ということ。
必要なものは何?
あとに使われるものだ。
たとえば、
「充電コードを持っていくべきだった」ということをあとで使うならば、
スマホの充電コードを外す描写は入るはずだ。
スマホの充電が問題にならないストーリーならば、
これはなくてもよい。
歯磨きやひげそりは、朝の描写としては定番だから、
まああっても分かりやすくなるだろう。
服を着替えるのはマストかな?
起きて、次に家から出てくるときに着替え終わっていれば、
別に描写など必要ない。
こうやって、段取りを詳細に増やすことも出来るし、
どんどん省略して減らすことも出来る。
一番短いものは、
朝、家から出てくる。
のワンカットで済むんじゃない?
逆に、100でも200でも1000でも、
詳細に増やそうと思えば増やせるよね。
朝一にブログの記事をアップしたりしてもよいし、
誰かに返信してもいいし、
天気がよかったら洗濯するかもしれない。
「歯磨きをする」という段取りだけでも、
歯ブラシを取る、水を流す、
チューブを取り、残り少ないものを尻を絞って出す、
磨く、上、下、奥、裏、舌、
水を含みうがいをする、吐く、二回、
そして歯ブラシを水洗いして戻す、
などのように、
いかようにも細かく段取りを増やせるわけだ。
すなわち、
こちらの匙加減で、
1を10に割ることも出来るし、
10を1に省略することも可能なわけ。
じゃあ、何が必要?ってことなんだよ。
ある二時間のストーリーがある。
事件が起きて、解決するまでがある。
その壮大な段取りは、どのように分割されるべきか?
という話をしている。
朝家から出るだけでも100から1までコントロールできるのだから、
それらを省略したり、段取りを増やしたりすることができる、
ということなのだ。
つまり、
うまく書けないのは、
その分割の仕方を間違っているのではないか?
ってことだ。
詳細にやりすぎると、
まったく話が進まないから、
一部省略したり、大胆に全部省略することだっていくらでもできる。
「朝起きてから家から出るまで」と言っていたくせに、
「家から出てくる」のワンカットに集約することだってできるわけで。
あるいはさらに0にもできるよ。
朝出社して、「おはよう」と言えばいいんだよ。
朝家から来たことくらいは、
省略されてもわかるよね。
描かずに、それがあったことを描くことだってできるんだ。
ということは、その段階は必要なのか?
を問うことが可能になるわけだ。
もちろん、重要なものは増やすことができる。
気持ちの繊細な変化を追ったり、
細かいことをやるだけで面白くなるものは、
細かくしたほうがいいかもしれない。
(例 見たことがないものをつくるとき。
たとえば自作キーボードをつくるさまは、
ある程度段取りを踏むと、面白く見えるだろう。
本編にそれがなかったとしても、
オープニングシークエンスにそれがある、
なんてパターンもあるよね)
つまり、
「必要に応じて、密度、粒度を変えることができる」
というのが、
書き手の自由度になるわけだ。
これをフォーカスする、などという。
たとえば、ジョンFケネディ暗殺を描くとして、
事件の詳細を描写することも出来るし、
犯人側の視点から、何カ月も前から準備するところからも描けるし、
たった一発だけで描くことも出来るわけ。
あるいは、
ケネディが朝起きてから家を出るまでを、
とても詳細に描写する、という手だってある。
それがかけがえのないいつもの日常だったと示すには、
家に帰ってきた奥さんが、
ベッドの皺を直したり、
彼がつかった歯ブラシを片付けたり、
彼が脱いだ服を畳んだりする、
そういうことで示せるはずだよね。
そのことで余計に悲しみが湧いてくるためには、
事前に朝起きる時から家を出るまでを、
詳細に描くといいわけ。
つまり、伏線として使うわけだな。
こんな風に、
ケネディ暗殺という、
現実には15分くらいで起こった事件を、
いかような段取りに分けて描くことも可能になるわけだ。
というわけで、
その段階リストは、正しいのか?
省略して、さっさと先の面白いところを増幅したほうが、
おもしろくなるんじゃないか?
あるいは、
せっかく伏線になるべきところを、
さっさと飛ばしているんじゃないか?
もっと丁寧にしたら、
気持ちが入るんじゃないか?
もっとすっ飛ばしたら、
スピード感が出るんじゃないか?
それは、目の前のことにかまけていたら、
分らなくなることが多い。
俯瞰したり、前後を考えたり、
全体のバランス感覚を考えない限り、
分らないことなんだよなあ。
ということで、
段取りは何段階あるか?
をつねに意識していくと、とくに中盤がうまく行くかもしれない。
適切な段取りの数は、
ストーリーを理解しやすくして、
感情移入を途切れさせないだろう。
「ここに8時間煮込んだものがあります」
と続ける料理番組は、
それを分っているということさ。
8時間を追いかける必要はない、と判断した、
ということだからね。
2024年07月03日
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