2024年05月14日

【脚本添削SP2024】4: ログラインと全体

ログラインを見てみましょう。




「ママのかわり」

 仕事に忙殺されるシングルマザーが、
 娘の子守りを任せたシッターの異常さに気づき、
 娘を守るために立ち向かう


このログラインの通りになってなかったですね。
異常性に気づいたのは2/3を過ぎてから、
立ち向かったのはラスト1ページ。

「立ち向かう」話になるなら、
中盤、5〜10Pあたり、ないし4〜12Pあたりは、
ずっと立ち向かっているべきです。

となると、娘は人質に取られてるのかしら。
萌として甘えていて、
母親として認めてないのかしら。

「この話を一言で言うなら?」がログラインです。
僕は一言の動詞で示すと良い、
とこれまで書いてきました。

それはログラインのように「行動しているか?」を、
見極めるためです。

「これは立ち向かう話です」となるなら、
「よし、立ち向かうぞ」と最初の方で決意して、
立ち向かい、うまくいかず、
立ち向かい、うまくいかず、
立ち向かい…
最後には、
その目的を達成する話になるべきです。
(ハッピーエンドの場合)
あるいは、
その目的が達成できませんでした、と最後になります。
(バッドエンドの場合)

少なくとも中身の半分くらいは、
ずっと立ち向かってるはずです。

しかし立ち向かったのは最後の方だけ。
あとは主人公は何をしてた?
「放置してた」ですね。

つまりこの話は、
「母が娘を放置する話」です。
それの何がおもろいの?ってことです。

ログラインはなんのために書くのでしょう?
詐欺をするため?

骨格を見極め、本質を炙り出すためです。
鏡を見るための道具としても使えます。
理想と、出来上がった原稿の差を見て、
それを一致させられるまで考えるべきです。
ログラインと原稿、どちらか、または両方直してもよいです。

極論、

 シングルマザーが娘を放置してたので、
 ベビーシッターに取られた話

が、
この原稿に対するただしいログラインです。
面白い?
面白くないよね。
じゃあ、本編を面白くしないとね。

 ベビーシッターが母親にバレないように、
 娘の人格を洗脳する話

だったら面白かったのに。
そしたら放置はチャンスタイムだし。



「テンカウント」

 試合で親友を廃人にしたアマチュアボクサーがその息子と試合し、
 親友と作った必殺技で勝つ話

こちらは、
ログライン通りになってました。
だからこれが原稿に対して相似形の、
正しいログラインだといえます。
嘘をついてないぶん、こちらの方が誠実です。

ただこのログラインを見て思うわけですよ。
「で、何が言いたいの?」ってね。

このログラインを見て思うことと、
原稿を読み終えて思うことは、
同じことです。
それだけログラインが本編の忠実な相似形にはなっています。
だから余計に、
本編の問題点はログラインにも出てるわけですね。


親友を廃人にしたのに、
なぜ、復讐?してきた息子に向かって、
親友と作った技で返り討ちするのか?
親友はどっちの味方なの?

息子は親父と川田の友情にボコられたの?
ひどくない?

廃人にした罪や負い目は?
試合中の事故とはいえ、
親友を殺したことに呵責はないの?


たとえば息子が復讐のためにボクシングを始めたとして、
毎回謎の手紙がきて、
そのたびにアドバイスがあり、
それは主人公の「試合で敗北するため」のものであった、
なんて話でも良かったのでは?

なぜ罪を背負った男が、
ご都合で親友の息子を殴れるのだろう?
そこが全然わからんのですよね。
そして親友との秘策で勝って、
何を得るというのだろう?
むなしさ?やり切った感?

なんだかただの自己満足に見えます。
だから引退してしまうのかね。



ログラインは鏡です。

でも歪んだ像が写ってる時に、
歪んでるぞと気付けないなら、
ログラインを書く意味はないのです。
デブが鏡に写ってるのに「太ってない」と言ってるのと同じです。


ログラインはこのように、
「話として成立してるのか?」
「面白い話になってるのか?」
をチェックするためにあります。

一番簡単な骨格を見て、
それを他人でも自分でも判断するためです。

もっとも、歪んだ認知をすることもあり、
客観性の確保は難しい時が多いですね。

それを正しく認識するのは、
経験と訓練ですかね。


両作者は、
他人のログラインと作品なら、
客観的に見ることができると思います。
ここまで2作品を引っ張ってきたのはこのためです。

世の中に、
私と、私の作品と、観客だけがいるのではないです。

世の中には、
沢山の作品と沢山の観客があるだけです。
それらの中でどう見えているかを見るのが、
ログラインという外からの視点です。

ログラインは、内と外の接点なのです。


まあ、ぶっちゃけそんな話だしな、
というところまで割り切れるでしょうか。
余計な思いを省略して、
ソリッドに解体できるでしょうか。

そこまで解体したときに、
なお面白さを担保できてるでしょうか。


さて、では面白いかどうかは、
どうやってわかるのでしょうか。
次回に続きます。
posted by おおおかとしひこ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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