「テンカウント」において、
「アマチュアボクシング」という設定に、
僕は首を傾げました。
プロの、普通にみるボクシングでない理由がわからなかった。
いや、
どうしてもアマがいいのだ、ならば、
アマとプロの違いを調べて、
アマにしか描けない世界の話にするべきです。
ところが話自体は、全然プロボクシングでありがちな枠組みでした。
そもそもアマボクシングにKOはありません。
ありますが、KOを狙うゲームではないです。
「さわりっこ」と揶揄されるように、
何ポイント急所に触ったかが勝負です。
強く入ってKOも起こり得ますが、
プロのように起こることはほぼないです。
つまりフルラウンドやって、
急所に入った回数の多い方が勝ち。
威力は問わない。
剣道のほうがまだましで、
「十分な打突」と審判が判断しない限り、
有効以上を取らないルールです。
にも関わらず、
KO前提の話が、全然リアリティがないわけです。
そもそもTV中継してないし、
中華料理屋でたまたま会った人が、
アイツじゃね?というほど有名ではないです。
ちなみに、
そもそも学生選手権以外のアマ試合あんの?と調べると、
https://jabf-revival.com/schedule/
によれば年3回ですね。
TVが入らないだろうし、
誰も知らない世界すぎる。
後楽園ホールのように毎週やってるわけじゃないし、
再戦の希望を出して相手が受ける、
なんてこともないでしょう。
因縁の試合をみんなが楽しみにする、
ということもないでしょう。
このリアリティのなさは、
取材してなさから来ます。
れおさんがよく知ってる世界ならいざ知らず、
なぜ知らない世界を嘘をついて語るのか?
これは創作者特有の、
「誰も立ってない頂に、旗を立てたい」
という欲望から来るものだと考えられます。
去年の酔拳といい、知らない世界なら、
現実の束縛を離れてファンタジー化できる、
という甘い読みがあるように思えます。
一応アマチュアボクシングは、
オリンピック競技であることもあり、
学生もやるし社会人もやります。
プロと比べれば競技人口は少ないものの、
日本ボクシング連盟主催で、
「やってる人がリアルにいる」ものを、
ファンタジーと捉えるべきではないでしょう。
架空の格闘技とか、
主催が公的ではない地下ボクシングみたいなことにすれば、
まだファンタジーになったはずです。
しかしここをファンタジーにする理由がない。
プロボクシングでなぜダメなのかがわからない。
取材がめんどくさいからファンタジーに逃げてるとしか思えないです。
この、リアリティのなさで、
まったく心が入らないんです。
そもそも、
中学校が廃校になってて、
その解体工事にドンピシャで当たるのがファンタジーです。
机や何かで作ったリングが、
卒業して10年以上も経つのに、
そのまま残ってるわけがない。
タイムカプセルをやりたいだけなんだから、
更地になった場所でもよかったのでは?
あるいは、旧校舎だけ残してあとは公園になってるとか、
いくらでもリアルな感覚をつくることはできたのに。
やりたいことはわかるのですが、
それがよって立つリアリティがグラグラです。
一度、実在の人、実在の世界、実在の事件を、
ドキュメント形式にすることを練習してはどうでしょう。
その人に話を聞き、
その人が何をリアルに考えているかを知ることができます。
頭で考えた、ふわふわした世界とは異なる、
世界に立脚した感覚を知ることができます。
ここがふわふわして甘いのが、
れおさんの作家的欠点といえます。
克服してもいいし、
逆にまったくのファンタジー作家になるべきです。
しかしファンタジーといえどもリアリティは必要で、
ドラゴンを出すなら、なぜ6本足かを、
説得力あるリアリティで説明する必要があります。
(両腕、両羽、両足は、6本足の虫の系列のはず)
リアリティとはほんとうらしさです。
僕にはこの世界が、
たとえ架空でも存在してるようには思えませんでした。
仮にこれがプロボクシングの世界の話で、
マスコミ映えする息子の復讐劇だとしたら、
リライト可能かもしれません。
つづく。
2024年05月17日
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