2024年05月18日

【脚本添削SP2024】8: 複合の視点

脚本を書く上で、
リアリティが欠けていることにどう気づけるか、という話をします。

基本的には、
自分の想像力の中で目の前にありありと思い浮かべられるか、
ということです。
だけど、自分から見た視点しか思えないのは、
まだ想像力が足りていません。


なぜなら、
世界は複数の人の同時進行だからです。

れおさんもウエストさんも、
主人公から見た視点までは出来ていました。
しかし、
相手役から見た主人公とか、
別の視点から見た二人とか、
そういうものがなかったですね。


「ママのかわり」では、
主人公の目線、シッターの目線までは、
描けていたかもしれません。

しかし娘から見たこの世界はどうだったのか、
母は娘を放置していたことについてどう思っているのか、
娘は結局どっち側につくのか、
シッターの死にはどう思っているのか、
などがないので、
「一方的な話」に見えるのです。

夫はしょうがないとしても、
どういう家庭を築こうと思っていたのかとかもあれば、
修復の糸口があったかもしれません。
(スノードームがそれにあたるかもしれないが、
あとで使われていないのでなんとも)

あるいは、
同じ階段で二人死亡事故を出したこのマンションのオーナーは、
絶対気分が悪いはずです。
なんなら幽霊が出るまで噂されるでしょうね。

そんなところまで複眼的に想像できているか、
ということなのです。

主人公(と近い人)だけしか考えられないと、
視野が狭くなります。
それは簡単にご都合主義に陥るということです。


「ママのかわり」における、
インフルエンサーの設定は必要だったでしょうか?

ぎりぎり穂香が応募してきた理由として使われていますが、
表彰式でなくても、
単純に「あなたが上げていたインスタを見て」
の一行でも成立しますよね。
あるいは、インスタでなくても、
「駅で見かけてあとをつけた」ことにしてもよい。
そうすると、ネット要素は何もいらなくなります。

そんな単純なことに気づいていないというのは、
周りが見えていないってことです。



「テンカウント」も同様。

親友を廃人に追い込んだ川田は、
親友のことをどう考えていたのでしょう。
知らなかった、という設定でしょうが、
知ったあと、どう思ったかは描かれていません。

あるいは息子のユウトは川田のことをどう考えていたのでしょう?
恨みがあった?
歯を折るより憎んでいたとも思えるけど、
「試合は試合、弱かった親父が悪い」と考えていたら、
歯を折るようなことはしないと思います。

そのへんのスタンスがよくわからんのですよね。
ラストの試合は、彼から見たら負け試合ですが、
それが親父が仕込んだ逆転技だと知ったら、
彼はどう思うでしょう?
ずるい、ってなるし、
自分が二人の友情の蚊帳の外なことに、
がっかりするんじゃないでしょうか?

親友も親友で、
廃人に追い込まれたことに対して、
どう思っているかは描かれていません。
単純に恍惚とした人になってしまっただけだと、
川田と息子ユウトの二人の話、
ということになります。

だとして、
息子ユウトのストーリーラインがよくわからないので、
これは主人公川田が、
親友からちやほやされる、
というメアリースーパターンということです。


なぜ親友は必殺技を教えたのか?
その理由もあいまいです。
そして、
なぜ必殺技をタイムカプセルに埋めたのか?
一生掘り返されることもない必殺技について、
彼はどう思っていたのかもわかりません。

だとすると、これはご都合を実現させるための、
道具、駒でしかないということです。


現実でも、架空の話でも、
複数の人が存在します。
それぞれの人生を生きていて、
それぞれの目的があり、
それぞれに感情や気持ちがあります。

何をどう考えているか、
同じことを同じように考えているとは限りません。
(そしてその差異が、コンフリクト=対立の、
原動力になるわけです)


コンフリクトは、
「ママのかわり」にはありました。
恵美と穂香の間に、
対立が存在します。

しかしこれはとても弱いコンフリクトです。
最後らへんにちょろっと出てきて、急に死んじゃうので。
もっと最初から対立するようにすれば、
それを中心に描けます。
恵美は穂香を速攻首にするのだが、
「契約は二週間」とかで、
関係を延長することだってできるわけですからね。




それぞれの登場人物から見た、
この物語を、
その人物のストーリーライン、と呼ぶことがあります。

「ママのかわり」では、
恵美のストーリーラインは、
夫が死に、仕事が忙しく娘を放置して、
インフルエンサーに表彰され、
それで仕事も決まったが、
シッターが狂ってて、
思わず突き飛ばしたら死んだ、という話です。

穂香のストーリーラインは、
死んだ娘にそっくりな愛理を見つけ、
こっそり忍びこんで、
娘=萌に再教育?するものの、
すぐに見つかって死亡、という話です。

愛理から見たストーリーラインは、
ずっと親から放置され、
シッターともうまく行かないが、
そのうち仲良くなって、萌になる、
そしてそのシッターは母に殺される、
という話です。

どう考えても、愛理は次の復讐者になりそうですね。

もし「愛を取り戻す」というようなオチならば、
もう少し後半を描くために、
前半に取り戻す要素を入れていたでしょう。


「テンカウント」では、
川田のストーリーラインは、
ボクサーになろうぜと風間と約束して、
彼とタイムカプセルを埋め(なぜ?)、
彼を試合で廃人に追い込み、
息子を虐待?から救出して
(これなんであの現場に居合わせたんだっけ?
誰から連絡があったんだっけ?
廃人になったことを知らなくて、
ずっと行ってなかったのに突然行ったんだっけ?
それはご都合に過ぎない。
もし廃人になったことを知っていたら、
なぜもっと前に座敷牢を通報しなかったんだっけ?)、
息子との試合に負け、
タイムカプセルから必殺技を掘り返し、
再戦に勝ち、勝ち逃げした、
という話です。

息子側から見たこの話は、
親父が廃人にされ、座敷牢に閉じ込められ、
復讐に試合をして、勝ったが、
再戦して負け、勝ち逃げされた、
という話です。


どちらも、
すっきりしないですね。

悪役が悪くて、死ぬべき役なら死んで理不尽でもいいんですが、
他の罪のない人が、
放置されてしまうと、
なんでこの人たちが出てきたの?
ってなってしまいます。

「それって、主人公の話を動かすための、
ご都合の駒だよね?」と、
ばれるわけですね。


どの登場人物から見ても、
矛盾せず、生きた人物の人生になるべきです。

それがハッピーエンドかバッドエンドか、
ビターエンドかはストーリーによりますが、
他人のためのご都合や、
矛盾があってはつまらないわけです。

どの登場人物から見ても、
ちゃんとストーリーラインが出来ていることが、
「どの角度から見ても話になっている」ということです。

その複眼的な視点が、
両人には足りていなかったと思います。



こうした、いろいろな矛盾を発見したり、
じゃあどうすればいいか考えたり、
どうしたら面白い話になるだろうか考えたり、
アイデアを足したり引いたりすることが、
「練る」という行為です。

これは、一回だけ書いたときには、
なかなか発見できないことです。
経験があれば複合的に見ながら同時進行させられますが、
少なくとも両人は出来ていないので、
一度書き終えたら、冷やして、
なんならもう一本つくって完全に忘れて、
俯瞰的に見ることをやったほうがいいです。

書くことは書き直すこと。
書き直すには、
正しく見えていること。
正しく見えていることは、
複眼的に、それぞれの視点から見えていること。
そして、
それらが全体として面白いかどうか、
チェックすること。
足りていなければ、足すこと。
余計なら削ること。
必要ならば、変えること。

そういう粘土細工のように練られて、
完成した作品にはなっていなかったですね。


さて、
じゃあお前はできんのかよ、
とハードルばかりがあがったので、
僕のリライト版を示します。
「テンカウント」をリライトしてみました。

つづく。
posted by おおおかとしひこ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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