2024年06月25日

「うちの子」という現象

創作界隈で、自分のつくったキャラクターたちを、
「うちの子」と称する人たちがいる。
いつも気持ち悪いなあと思っている用語だ。
自家撞着にすぎると思うからだ。


愛情を持ち、育てることはよいことだ。
しかし、
周りが見えていない、モンスターペアレントみたいに見えてくるんだよね。
ひいきしたり、見て見てと見せてくるわりにはたいしたことなかったり。

イケメングループのイケメンという設定のアイドルだけど、
あんまりイケメンじゃないやつの写真を見せられる感じだ。
それはえこひいきじゃないか?と思ってしまうやつ。

男よりも女の人に、そういう傾向は強い。
母性的な本能なんだろうか。
出来不出来とは関係なく愛情を注ぐのは、
現実の子にはいいかもしれないが、
架空の子まで注ぐのはいいことなのだろうか。


もちろん、生んだ子供というわけではないだろう。
ペットをうちの子と呼んだり、
身内をうちの子と呼んだりすることに、
意識としては近いのだと思う。

でも自我が分離してなくて、冷静さを欠いているように、
よそからは見えるんだよね。


じゃあ、どういう立場がいいんだろう。
僕は、
「うちの劇団」くらいならいいんじゃないかと思う。
「うちのメンバー」「うちの部員」くらいかな。

それならギリギリ身内だけど客観性が保てていると思うな。

そもそもそれくらいは突き放さないと、
面白いことは出来ないだろう。
物語とは、ただキャッキャワイワイすることではなくて、
死ぬほどの目に遭ったり、
自我が崩壊したりまた再生することを扱うわけなので、
身内だとひどいことが出来なくなるからだ。

不幸の神様役も、作者はしなければならない。
うちの子にはそんなことは出来ないからね。

あくまで、劇団だと思う。
posted by おおおかとしひこ at 07:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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