創作界隈で、自分のつくったキャラクターたちを、
「うちの子」と称する人たちがいる。
いつも気持ち悪いなあと思っている用語だ。
自家撞着にすぎると思うからだ。
愛情を持ち、育てることはよいことだ。
しかし、
周りが見えていない、モンスターペアレントみたいに見えてくるんだよね。
ひいきしたり、見て見てと見せてくるわりにはたいしたことなかったり。
イケメングループのイケメンという設定のアイドルだけど、
あんまりイケメンじゃないやつの写真を見せられる感じだ。
それはえこひいきじゃないか?と思ってしまうやつ。
男よりも女の人に、そういう傾向は強い。
母性的な本能なんだろうか。
出来不出来とは関係なく愛情を注ぐのは、
現実の子にはいいかもしれないが、
架空の子まで注ぐのはいいことなのだろうか。
もちろん、生んだ子供というわけではないだろう。
ペットをうちの子と呼んだり、
身内をうちの子と呼んだりすることに、
意識としては近いのだと思う。
でも自我が分離してなくて、冷静さを欠いているように、
よそからは見えるんだよね。
じゃあ、どういう立場がいいんだろう。
僕は、
「うちの劇団」くらいならいいんじゃないかと思う。
「うちのメンバー」「うちの部員」くらいかな。
それならギリギリ身内だけど客観性が保てていると思うな。
そもそもそれくらいは突き放さないと、
面白いことは出来ないだろう。
物語とは、ただキャッキャワイワイすることではなくて、
死ぬほどの目に遭ったり、
自我が崩壊したりまた再生することを扱うわけなので、
身内だとひどいことが出来なくなるからだ。
不幸の神様役も、作者はしなければならない。
うちの子にはそんなことは出来ないからね。
あくまで、劇団だと思う。
2024年06月25日
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