(脚本添削SPを途切れさせたくなかったので、追悼記事を遅れて投稿します)
そもそもキダタローが活躍していたのは、
大阪のTVが元気やったからや。
新婚さんいらっしゃい、ラブアタック、
鶴瓶と花の女子大生、ノンストップゲーム。
僕は全部見てた。
大阪のバラエティが元気があり、
大阪のテレビが元気があり、
東京にはまかせへんぞ、
俺らがやったるぞ、
という流れがあったから、
才能が活躍できた。
大阪を離れて25年経つので今の状況はわからないが、
あの時の元気な感じはこちらには伝わってこない。
オモロイオッサン、という感じでトークショーにいたけれど、
あの人多分ごっついまじめで、
ごっつい繊細な人やったんちゃうかな。
あんな楽しいメロディ書ける人は、
人生の哀しみや辛さや不条理の中から、
楽しい成分だけ寄りすぐれる人だと思うんよね。
大阪で生まれたことを誇りに思う。
キダタロー先生は僕を知らんけど、
尊敬できる人に会えてよかったです。
上岡龍太郎も浜村淳も藤本義一もキダタローも鬼籍かー。
新野新と鶴光はまだ元気やろか。
2024年05月21日
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