2024年07月09日

誘い水、罠

Aというリアクションを引き出したいときに、
Bをする(または言う)のが誘い水。

Aをさせるように陥れるのが罠。
罠の方が悪意がある。


誘い水は、
Aというリアクションをすることを誘っている。
こういうことを言えば、
こういうことを返してくるだろうとか、
こういうことを言えば、
他に退路がなくなるだろうとか、
そういうことをBで追い込むのだね。

戦いの場でもそうだろうし、
男女の駆け引きでもそうだろう。
「終電なくなっちゃった」とか、
「酔っちゃった」は、
完全に誘いというわけだ。

男女の場合は、
それが誘いか誘いじゃないか、
というキワの部分で楽しむわけだ。
相手の真意を探りながら会話するわけだね。

戦いの場合は、
命がかかっているわけだから、
決断一つで重要な局面に変わってしまうことがある。
その誘いに乗るか、乗らないか、
ということも選択肢としてはあるわけだ。

戦いに出たら全滅するのはわかっていたとしても、
民族の誇りを傷つけられたからには、
総攻撃に出るしかない、
というのはよくあるパターンだ。
だから、挑発は誘い水になりやすい。
Bという挑発をすれば、
Aという行動に出るのだろ?という読みだ。


さて、ここまでひりひりする誘い水でなくても、
ふつうの会話でも誘い水はよくある。
「ラーメンにしようぜ」というAを引き出すために、
「カレーでいいんじゃない?」というBの会話を前に言わせればよいからね。
もちろん、「何食う?」でもいい。
いきなり「ラーメンにしようぜ」と言って唐突じゃなければ、
それは誘い水が機能しているということだ。

つまり、誘い水はリアクションに対しての、
(小さな)伏線として機能する。


これをうまく使えると、
会話がスムーズに進むだろう。

しかし下手だと、
「それはAを言わせたいためのものだけだろ」
とばれてしまう。
誘い水にリアリティがなく、
Aを言わせるためのご都合に見えてくるわけだね。


罠の場合はさらにそれを進化させたもの、
と考えればいいだろう。
Aをうまく引き出して、
「引っ掛かったな!」となればいいからね。

もちろん、
それを読んで、
「引っ掛かったふり」というのもあるだろう。
全ては知恵比べだ。



おそらく、
何も考えていない書き手は、
こうした誘い水や罠を使えていないのではないか。

Aをする→それのリアクションとしてBをする
→それのリアクションとしてCをする
→それのリアクションとしてDをする
……
みたいな、一手一手の将棋しかやっていないのでは?

Aをする(相手はBを返してくるだろうと予想して、
次のCになるような布石を打つ)
みたいなことを描くべきではないだろうか。

そのためには、
嘘もつくし、
死んだふりもすることになるだろうね。

たとえば練習として、
素直な一手一手の将棋ではなくて、
数手先を読んだ会話をつくればいいんじゃないか。

数手が難しいならば、
一手先を読んだだけでも、だいぶ変わってくるだろう。
「酔ったフリをする前にいったんトイレに行き、
口紅の色をエロくする」
なんてことくらい、
女は日常的にやっているんじゃないかなあと思うよね。
そんな風に、
先を読んだ上での現在の行動があると、
「反応して打ちあっているだけ」にならないんじゃないだろうか。

もちろん、
アドリブで打ちあうのは面白いが、
それは動物の反射行動でしかない。
知性のある人間は、
もっと先読みをして、今やれることをやるものだ。

そういうものを書けるようになってくると、
複眼的な視点が育つと思う。
posted by おおおかとしひこ at 07:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック