自分の話が100%伝わると思っているやつは、
表現の素人である。
自分の話は10%から30%くらいしか伝わらず、
90%から70%は宙に消える。
つまり、相手が自分の話を「聞いた」とき、
相手の中に自分の話の劣化ダビングが伝わるのだ、
と覚悟するべきである。
他人の話を理解するときを考えるとよい。
100%理解しているか?
だったら授業は100点取れるよな?
校長先生の話は100%覚えているよな?
両親の教育やエピソードは100%覚えているよな?
そうはならないはずだ。
娯楽の話じゃないから覚えていない?
そんなことはない。
ある映画のストーリーを説明してくれ。
全然覚えていないだろ?
「なんとなくよかった」程度で話していないか?
そんなもんなのだ。
僕がこれだけ脚本論を書いても、
100%覚えている人はいないよな。
1%くらい覚えていたとしても、
結構な文字数だぜ?
1万記事くらいあるんだから。
そんなもんなのだ。
他人の話をそれくらいしか覚えていないくせに、
自分の話が100%伝わり、
100%記憶される、
と考えているのは、
阿呆だと思う。
どんだけ都合がいいやつなんだよ。
(にも拘わらず、
CMをはじめとした企業広告は、
100%伝わると思って15秒やA3ポスターに詰め込みまくる。
バカじゃないかといつも思ってみている)
他人の話は覚えていない。
同様に、
私の話も、他人は覚えていないのだ。
こちらがどれだけ完成度が高いものをつくり、
ものすごい話をつくったとしても、
全然覚えてくれていない、
という事実に、
まず慄然とすることだな。
表現者としての初歩である。
こちらの話は、10%も伝わっていない。
つまり、
相手は劣化したものとして記憶したり、
10%程度しか理解せずに、
鑑賞している。
こちらが100出しているのに、
相手は10しか食べていない料理みたいなものだ。
にもかかわらず、
良かったとか悪かったとかいうわけ。
ふざけんなよと思いながら、
「ありがとうございました」と頭をさげる。
それが表現という行為だ。
つまり、
こちらが100出しても、
相手が100受け取るのは義務ではない。
むしろ、ほとんどの人が、
10とか20しか受け取らない。
あなたが脚本を真剣に考える前、
どの程度娯楽作品の脚本を理解していたか?
まあ5とか2とかでしょ。
話というのは、
それくらい記憶に残らないし、
分析が難しいし、
そもそも伝わっていないのだよ。
その覚悟をすることだ。
つまり、伝わっていないまま、
世間に流布するという覚悟だ。
あなたがどんなに素晴らしいものを作っても、
劣化ダビングしたものしか、
世間は受け取っていない。
世間の理解は浅い。
浅い理解で、あなたの作品を理解する。
だから、
強いものをつくるべきなんだよ。
繊細で弱いものだと、
劣化ダビングしたときに消えちゃうのよね。
観客が理解しても、
薄味ですぐに忘れてしまうわけ。
なんなら、理解しないまである。
「フランケンシュタイン」は、
理解されないものの悲しみがテーマだと思うが、
多くの人は人造人間こえー、
というホラーだと思っている。
その程度しか、
伝わらない覚悟を持つことだ。
もちろん、
IQの高い人は、
70から90程度理解してくれる。
ファンならばしゃぶり尽くすだろう。
でもそんな人は2%程度だと思ったほうがよい。
残り9割以上は、
半分も理解しないで、
あなたの作品をよいとか悪いとかいうだろう。
理解されれば評価されるはずだ、
というのは、
だから間違いなのよね。
群衆はそんなにIQが高くない。
IQの低い半分は、
5とか10とかしか理解しないよ。
だから、
頭の悪い話をつくってもOK、
ということにはならない。
常に、
最上位のものをつくるべきである。
なぜなら、世界には必ず理解者が数%いるからだ。
もちろん、そんな人の為だけにつくるのではなく、
全員のためにつくるから、
マスである大衆芸術は成り立っている。
100%理解されない。
まずそこを出発点にしたまえ。
なんなら10%がマックス。
それくらいの覚悟でもよい。
あなたが放ったとても新しくて斬新で面白いものは、
10%程度の劣化ダビング状態で、
観客の心に残ることだろう。
それでよい。
2024年07月14日
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