2024年05月30日

世界は常に若きニュースターを求めている

と思うとよい。


若きニュースターはよい。
若くて魅力があって、
イケメンもしくは美女で。
見てるだけで恋してしまうし、
苦悩すればそれを我々は何倍にも増幅して苦しむし、
喜びがあれば我々は100倍に増幅して喜ぶ。

行動力があり、世界を変えてゆく。
(これは本人の力ではなく、
シナリオの結果なのだが)

なぜ、若いほうがいいのだろう?
中年や老人や子供ではだめなのだろうか?
だめだと思う。
そういうニュースターもいるが、
それはあくまで変形であり、
本道ではない。

本道は若きニュースターである。
なぜか?
若いほうが、「世界を変えられる」と感じるからだ。
おっさんおばはんでは手遅れで、
子供では無理だと思うからだ。

つまり、
若いニュースターにしてほしいことは、
世界を変える可能性を見出したいということだ。

だから、
そういう物語がいいのだ。

まだ未熟な若者が、
無軌道な力だけがあって、
理想だけがあって、
それが何かに出会い、
力の出し方を知り、味方を集めて、
世界を悪いものから良いものに変えてゆくことが、
みんなが見たい物語なのだ。

なぜだろうか?

恋と同じものだから、
というのが答えかな。

恋はつがいになるためにする。
それって子供をつくり、
世界をよりよいものへ変えていくこと、
という可能性を持つ。

つまり、
「可能性」を我々は見たいんじゃないかな。

おっさんおばはん老人子供では、
世界を変える可能性を感じないんだよな。



橋本環奈が出てきたとき、
世界を変えるアイドルの可能性を見たと思う。
ガッキーが出てきたとき、
世界を変える新人の笑顔を見たと思った。
広瀬すずが14歳で海街ダイアリーに出たときは、
なんという美少女が世界を変えていくのだろうと思った。

僕は男なので女しか見ていない。
逆に女は男しか見ていないだろう。
僕は平野紫耀には何も思わないが、
女子はキャーキャー言うのはわかる。
若きキムタクが出てきたときの空気に似ている。

その共通点は何かというと、
「世界がその人が存在しているだけで、
以前と違って輝く」
ということだと思うんだよな。
それは恋と同じだよね。


というわけで、
そういう物語こそが、
皆が求めているものだ。

恋していない若者とか、結婚しない若者とかが、
恋のようなものが嫌いなわけではない。
金がなかったり、妄想の恋のほうが現実よりいいからかもしれない。

「恋のようなもの」が人の求めるものだ。
それは、
「世界を変える可能性」であり、
「ほんとうに変えてしまったこと」だと思う。

それを知る前とあとでは、
全く世界の可能性が変わって見えてしまうもの。
それが欲しいのだ。
posted by おおおかとしひこ at 01:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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