と思うとよい。
若きニュースターはよい。
若くて魅力があって、
イケメンもしくは美女で。
見てるだけで恋してしまうし、
苦悩すればそれを我々は何倍にも増幅して苦しむし、
喜びがあれば我々は100倍に増幅して喜ぶ。
行動力があり、世界を変えてゆく。
(これは本人の力ではなく、
シナリオの結果なのだが)
なぜ、若いほうがいいのだろう?
中年や老人や子供ではだめなのだろうか?
だめだと思う。
そういうニュースターもいるが、
それはあくまで変形であり、
本道ではない。
本道は若きニュースターである。
なぜか?
若いほうが、「世界を変えられる」と感じるからだ。
おっさんおばはんでは手遅れで、
子供では無理だと思うからだ。
つまり、
若いニュースターにしてほしいことは、
世界を変える可能性を見出したいということだ。
だから、
そういう物語がいいのだ。
まだ未熟な若者が、
無軌道な力だけがあって、
理想だけがあって、
それが何かに出会い、
力の出し方を知り、味方を集めて、
世界を悪いものから良いものに変えてゆくことが、
みんなが見たい物語なのだ。
なぜだろうか?
恋と同じものだから、
というのが答えかな。
恋はつがいになるためにする。
それって子供をつくり、
世界をよりよいものへ変えていくこと、
という可能性を持つ。
つまり、
「可能性」を我々は見たいんじゃないかな。
おっさんおばはん老人子供では、
世界を変える可能性を感じないんだよな。
橋本環奈が出てきたとき、
世界を変えるアイドルの可能性を見たと思う。
ガッキーが出てきたとき、
世界を変える新人の笑顔を見たと思った。
広瀬すずが14歳で海街ダイアリーに出たときは、
なんという美少女が世界を変えていくのだろうと思った。
僕は男なので女しか見ていない。
逆に女は男しか見ていないだろう。
僕は平野紫耀には何も思わないが、
女子はキャーキャー言うのはわかる。
若きキムタクが出てきたときの空気に似ている。
その共通点は何かというと、
「世界がその人が存在しているだけで、
以前と違って輝く」
ということだと思うんだよな。
それは恋と同じだよね。
というわけで、
そういう物語こそが、
皆が求めているものだ。
恋していない若者とか、結婚しない若者とかが、
恋のようなものが嫌いなわけではない。
金がなかったり、妄想の恋のほうが現実よりいいからかもしれない。
「恋のようなもの」が人の求めるものだ。
それは、
「世界を変える可能性」であり、
「ほんとうに変えてしまったこと」だと思う。
それを知る前とあとでは、
全く世界の可能性が変わって見えてしまうもの。
それが欲しいのだ。
2024年05月30日
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