もうずっとTVを見てないのだが、
今日電車帰りに金麦の駅貼りを初めて見て、
不思議な気持ちになった。
一人称なんだよな、「帰れば金麦」って。
文面は覚えてないけど、
「今日も生き残った、
それだけでえらいのだ。
帰れば金麦」
的なポスターだったと思う。
この「帰れば金麦」というのは、
ずっとやってたのかもしれないが、
何せ我が家ではもはやTVがないので、
初めてこれを見てびっくりしたのだ。
かつて金麦といえば檀れいが、
「待ってるから早く帰ってきて、
金麦のも。今日もお疲れ様でした」と、
夫婦の関係(の妄想)を描いたものだった。
人間は一人ではなく、
関係のあるネットワークの中にいるのが当然で、
孤立したとしても、
群れの中に帰りたい欲望があり、
それを檀れいが救っていた。
コロナでその関係性が分断して、
それはまだ回復していないのだな。
検索して、
現在のCMに辿り着く。
独り言だ。一人称だ。
一人暮らしの自己満足だ。
閉じている。
他の人との関係性を描いていない、
一人の世界である。
ああ、コロナから、世界はまだ帰ってきていない。
まあ、これじゃ少子化も当然よね。
広告が悪いのではない。
広告は時代の気分とシンクロしてるだけだ。
単なる鏡だからね。
これが、一人称が終わり、
誰かと誰かの間にビールが帰ってくるのは、
いつの日になろうか。
その頃まで日本人は維持できるのだろうか。
終末の世界に、
たった一人で暮らす、
人類最後の人間みたいな、
そんなものを妄想する。
物語とは、
人と人の関係を描くものである。
一人称形であろうが、
三人称形であろうが、
一人だけの世界の終末を描くことはない。
(アイアムアヒーローの終盤はそうなって、
ものすごく詰まらなかったが)
檀れいが待ってる妄想の方が、
豊かな世界というものだ。
追記)
これ、「家に帰ったら生ハムの原木あるしな」
のネットミームのパクリやん、
ということに気づいた。
後追いやんけ。
いつから広告は船の舳先でなくなったのだ?
2024年05月30日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック