物語とは変化である。
ある大変な体験をして、
最終的にはそれが始まる前よりも、
良い方向に変化をする。
その変化の価値こそが、冒険の価値である。
(ハッピーエンドの場合)
で、
それがうまく出来てるかをチェックするときに、
主人公が「発見してる」場面があるかを、
チェックしてみよう。
人間が変化するときに、
発見を伴わないことはないと思う。
価値観が変化するには、
「今までの考えではだめだ」と、
現状否定が必要だからだ。
完全否定なのか、
部分否定なのか、
完全生まれ変わりか、
部分修正かは、
物語によるけれど、
そこに「気づき」がないものはないはずだ。
「おや? 今までの考えは、
間違っていたのでは?」という自らを疑うには、
「発見」が必要である。
「そもそもこうだと思っていたが、
実はこうなのか!!!」というシーン、
というわけ。
最も劇的なものは、
「実は自分が狂ってた」
と悟るシーンであろうか?
「ビューティフルマインド」の主人公、
ジョンナッシュが、
自分が狂っていると気づく場面は、
第一ターニングポイントである。
そこからジョンは狂っていない世界へ辿り着こうとするわけで、
その冒険が主題である。
まあそんな極端な例ばかりでなくてもよい。
これまで生きてきて獲得した常識や偏見が、
通用しない出来事に出会い、
変わらなければならないときに、
発見をするはずだ。
自分は間違っていた、という後ろ向きの発見と、
これはこのように考えればいいのだ、
という新しい前向きの発見は、
同時に起こると思う。
たとえば、
スマホ世代の若者が、デジタルデトックスをする話を考えよう。
なんでデジタルデトックスをするんですか、
とぶうぶう言いながらそのプログラムに参加するとする。
そしてデジタルのない不便さを呪い、
仕事を遂行しなければならないとしよう。
その若者はどこかで気づくはずだ。
人と約束することの大変さを。
ただ会うだけで大変なことを。
そしてその結果作り上げた仕事が、
どれだけ喜びをもたらすかを。
スマホをポチポチしてるだけでは得られない、
驚きや喜びを体験するはずだ。
その発見がない限り、
「デジタルデトックスはよい」
という考え方に変わることはないだろうね。
つまり、
ただ変化するわけはないのだ。
発見があり、
このままではダメだという思いと、
こうすればいいぞという思いがあれば、
人は変わるのだ。
変わろうと思ってもなかなか変われないこともある。
それは紆余曲折で描けば良い。
しかしその「変わるきっかけ」は、
必ず発見だと僕は思う。
もちろん、
主人公だけが変わらなくても良い。
みんな変わっても良い。
だけど、
最も劇的に変わるのは、主人公であるべきだ。
だから、
主人公の発見が、
最も大きく、劇的である必要があるわけ。
もっとも、
それがストーリー全体で、
どれくらいの大きさを占めるかは、
ストーリーによって異なるから、
「ビューティフルマインド」くらい衝撃的でなくてもいいけどね。
「あ」
「そうだったのか」
「それは考えてなかった」
「なるほど」
なんでもいい。
主人公は何を発見するのか?
その発見からが、変化の始まりだ。
2024年07月16日
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