2024年07月16日

主人公は発見する

物語とは変化である。

ある大変な体験をして、
最終的にはそれが始まる前よりも、
良い方向に変化をする。
その変化の価値こそが、冒険の価値である。
(ハッピーエンドの場合)

で、
それがうまく出来てるかをチェックするときに、
主人公が「発見してる」場面があるかを、
チェックしてみよう。


人間が変化するときに、
発見を伴わないことはないと思う。

価値観が変化するには、
「今までの考えではだめだ」と、
現状否定が必要だからだ。

完全否定なのか、
部分否定なのか、
完全生まれ変わりか、
部分修正かは、
物語によるけれど、
そこに「気づき」がないものはないはずだ。

「おや? 今までの考えは、
間違っていたのでは?」という自らを疑うには、
「発見」が必要である。

「そもそもこうだと思っていたが、
実はこうなのか!!!」というシーン、
というわけ。


最も劇的なものは、
「実は自分が狂ってた」
と悟るシーンであろうか?

「ビューティフルマインド」の主人公、
ジョンナッシュが、
自分が狂っていると気づく場面は、
第一ターニングポイントである。
そこからジョンは狂っていない世界へ辿り着こうとするわけで、
その冒険が主題である。


まあそんな極端な例ばかりでなくてもよい。
これまで生きてきて獲得した常識や偏見が、
通用しない出来事に出会い、
変わらなければならないときに、
発見をするはずだ。

自分は間違っていた、という後ろ向きの発見と、
これはこのように考えればいいのだ、
という新しい前向きの発見は、
同時に起こると思う。


たとえば、
スマホ世代の若者が、デジタルデトックスをする話を考えよう。
なんでデジタルデトックスをするんですか、
とぶうぶう言いながらそのプログラムに参加するとする。
そしてデジタルのない不便さを呪い、
仕事を遂行しなければならないとしよう。

その若者はどこかで気づくはずだ。
人と約束することの大変さを。
ただ会うだけで大変なことを。
そしてその結果作り上げた仕事が、
どれだけ喜びをもたらすかを。

スマホをポチポチしてるだけでは得られない、
驚きや喜びを体験するはずだ。

その発見がない限り、
「デジタルデトックスはよい」
という考え方に変わることはないだろうね。


つまり、
ただ変化するわけはないのだ。

発見があり、
このままではダメだという思いと、
こうすればいいぞという思いがあれば、
人は変わるのだ。

変わろうと思ってもなかなか変われないこともある。
それは紆余曲折で描けば良い。

しかしその「変わるきっかけ」は、
必ず発見だと僕は思う。


もちろん、
主人公だけが変わらなくても良い。
みんな変わっても良い。
だけど、
最も劇的に変わるのは、主人公であるべきだ。
だから、
主人公の発見が、
最も大きく、劇的である必要があるわけ。

もっとも、
それがストーリー全体で、
どれくらいの大きさを占めるかは、
ストーリーによって異なるから、
「ビューティフルマインド」くらい衝撃的でなくてもいいけどね。


「あ」
「そうだったのか」
「それは考えてなかった」
「なるほど」
なんでもいい。

主人公は何を発見するのか?

その発見からが、変化の始まりだ。
posted by おおおかとしひこ at 06:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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